「ブラジル人にとってのプロサッカー選手は人生を変えられる職業。だから社会のことを何も知らない12歳で親元を離れた。ハングリーさがなければ、今の僕は存在しないだろう」 [エウベル インタビュー]
インタビュー・文:藤井 雅彦
今シーズンから加入した新助っ人エウベルが独特なリズムとタッチのドリブルで相手守備陣を切り裂いていく。先週末のサンフレッチェ広島戦で岩田智輝の得点をお膳立てして初アシストを記録するなど持ち前のチャンスメイク能力を発揮。負傷が癒えて先発機会が増えたことで徐々にチームにフィットしてきているようだ。サッカー王国からやってきたアタッカーは、どんな思いでピッチに立っているのか。知られざる過去のエピソードを明かすと同時に、新たな挑戦に目を輝かせた。
屈託のない笑みに嘘がないことは、画面越しでもこちらに伝わってきた。
「僕がサッカーを始めたのは10歳だった。昔からサッカー選手になることを夢に描いていたんだ。生まれ育った家庭は貧しかったので、サッカーで成功を収めて家族に裕福な生活をさせたかった。今でもブラジルの貧しい子どもたちに聞けば、90%くらいはサッカー選手になりたいと答えるだろう。僕もそのうちのひとりだ」
そうやって幼少期を回想する視線は真っすぐと鋭く、そして強かった。
エウベルは10歳の時、すでにプロサッカー選手として活躍する未来像を作り上げていた。そして両親と自分以外に5人いる兄弟を養っていくことを心の中で誓っていた。
ブラジル北東部のアラゴアス州に生を授かった。家の周りにあるのは大自然だけ。父親はテレフォンアポイントメントの会社に勤めながら、さらに母親と一緒にさとうきび畑で土や泥にまみれて、大粒の汗を流しながらさとうきびを刈り取る仕事をしていた。
「この仕事はブラジルでも辛い仕事として知られていて、主に貧しい家庭がやる仕事という認識がある。さとうきびを切り取った分だけお金がもらえるのでとにかく量が必要。暑くない時間帯に終えたいので早朝から仕事に取り掛かるけど、量がほしいので太陽が昇って暑くなっても仕事を続けなければいけない。僕の両親は体にかかる負担が大きい仕事をしていたと思う」
辛く苦しい生活から抜け出すためには、兄弟のうちの誰かが状況を変えなければいけなかった。12歳になった頃、エウベルはプロを目指すために親元を離れて本格的にサッカーでプロを目指し始める。高いレベルを求めると同時に、退路を断ったというわけだ。
人生にはいくつかの分岐点があり、その際に決断を迫られる。一寸先は闇かもしれない。いばらの道が待っているかもしれない。それでも12歳のエウベル少年は、サッカーで人生を変えるチャンスを逃すわけにはいかなかった。
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