【サッカー人気1位】降格圏でも悲観する必要ナシ。3-4-2…

「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「寂しさはあります。親元を離れるみたいなものですから。たくさんのことを教えてもらい、学ばせてもらいました。これからの活躍で恩返しさせてほしいです」[遠藤渓太完全移籍] (無料記事)

 

苦しんだファーストシーズンで遠藤は何を得たのか

 

マリノスからドイツ1部のウニオン・ベルリンへ期限付き移籍している遠藤渓太が同クラブへ完全移籍することが発表された。

 

 

遠藤は昨年7月末に渡独。コロナ禍で新たな環境に適応するのが難しい状況だったが「観光に来たわけではない」と強く言い切り、新天地での成長と活躍だけを見据えた。そして開幕前に行われたアヤックスとの練習試合がひとつの転機となる。

先発した遠藤は序盤から果敢なドリブル突破で見せ場を作った。だが渡独前に出場した北海道コンサドーレ札幌戦での負傷が尾を引き、無念の再離脱を余儀なくされてしまう。患部が完治して戦列に復帰したのは10月に入ってからだった。

 

 

一方で、このアヤックス戦が最初の手ごたえにつながる。

「練習試合だったのでアヤックスは若手主体のチームだと思っていました。そうしたら、えげつないサイドバックがいました(笑)。身長は僕と同じくらいなのに、マッチアップした時は手のひらの上で踊らされているような感覚でした。世界は広いなと思いました」

 左ウイングとして先発した遠藤が対面したアヤックスの右サイドバックの名前はセルジーニョ・デスト。直後の10月に、あのバルセロナへ完全移籍してスターダムの階段を駆け上がる当時19歳の新鋭だった。レベルの高さに衝撃を受けた肌感覚が間違っていなかったと実感できる出来事となった。

ケガから復帰してからも、すぐには定位置を確保できない。チームの好調さに加えて、スタイルの違いへの戸惑いを隠しきれなかった。

 

 

ウニオン・ベルリンは4バックと5バックを使い分けるチームだ。4バックの時は最も得意とするサイドハーフのポジションでプレーできるが、タッチライン際に張るよりも中央寄りでボールを受けることが求められる。

5バック時はウイングバックではなく、中盤のインサイドハーフに近い位置が主戦場に。縦への突破力を発揮しにくく、持ち味を出しにくいシチュエーションだった。

思い返せば、2016年にトップチーム昇格を果たした遠藤は、以降4年半に渡ってマリノスのタッチライン際をスタートポジションにしてきた。エリク・モンバエルツ前監督もアンジェ・ポステコグルー現監督も、ウイングの遠藤にまずは縦突破を求めてきた。

 

 

「やり方はマリノスと明らかに違います。同じ4-2-3-1のサイドハーフでもタッチライン際に開きっぱなしのプレーは求められていません。僕はモンバエルツさんの時からそれを求められていたし、自分の特徴を一番出しやすいスタイルでもありました。だから正直、戸惑いはありました」

 守備に軸足を置いて戦うウニオン・ベルリンはアタッキングフットボールを貫くマリノスは正反対のようなスタイルだ。対戦相手をスカウティングし、試合ごとにシステムを変える。勝利した次節でもシステムが変わることは珍しくなく、まず守備のタスクを求められる。その上で攻撃面でも持ち味を出すための強さが遠藤には足りなかった。

 

 

結果として、ここまで31試合を消化してリーグ戦での出場は14試合にとどまっている。先発はわずかに4試合で1得点。青写真通りのブンデスリーガ1年目とは言い難い個人成績ではあるが、覚悟を決めて海を渡った遠藤は逃げも隠れもせず現状を真摯に受け止める。

「開幕前にケガをしてしまって、ゴールを決めた試合でもケガをしてしまいました。でもケガを言い訳にはしたくない。起用される選手は復帰してすぐに使われます。自分は使われなかった。それにチャンスがまったくなかったわけではないですから」

 もうすぐ終わるドイツでの1年目は、2年目に飛躍する土台であり、基盤だ。

 

 

一貫していた首脳陣からの高評価と満額支払われる移籍違約金

 

通用した部分が少なからずあった。

「自分の間合いでボールを持てれば相手を抜ける。その間合いでボールを受ける回数を増やすことが課題です。サイドハーフが外に張っていることを求める監督ばかりではないですし、それはマリノス時代にシュンさん(中村俊輔/現・横浜FC)や佑二さん(中澤佑二)から口酸っぱく言われてきたことでもあります。自分の強みを出しつつ、課題を解消していく作業が大事になります」

 

 

今月に入ってからはバイエルン・ミュンヘンやボルシア・ドルトムントといった上位陣との試合に先発した。

「インテンシティが高い。それから上位にいるチームの選手は全員が自信に満ち溢れていて、勝者のメンタリティを持っていると感じました」

 レベルの高い相手と対戦することで現在地を確かめることができたのは大きな収穫だろう。慣れないスタイルにもアジャストしようとする姿勢、ポテンシャルの高さ、そしてスピードやドリブル突破などの武器は、出場機会を確保できない状況でも首脳陣から高く評価されていた。

 

 

そもそもウニオン・ベルリンは昨年7月の時点から完全移籍での獲得を検討していた。しかしコロナ禍の影響も鑑みて、完全移籍のオプションを付けて期限付き移籍で遠藤を獲得した経緯がある。そして今回、ウニオン・ベルリンはそのオプションを行使し、マリノスに対して移籍違約金を満額支払う形での完全移籍で遠藤を獲得する。

マリノスの育成組織出身選手としては、小野裕二以来となる海外クラブへの完全移籍だ。小学校2年生でマリノスのスクールに通い始めた遠藤は15年半をトリコロールで過ごし、目に見える形で成果を残して新たなステージへ旅立つ。

 

 

ドイツへ渡り9ヵ月が経った。その間、遠藤はマリノスの試合をマメにチェックしていた。日本とドイツには7時間の時差があり、デーゲームの場合は早起きしてインターネットを接続し、ナイターゲームの場合は練習を終えた正午頃から動向を追う。まるでサポーターのように画面に食いつき、応援した。

「寂しさはあります。だって親元を離れるみたいなものですから。たくさんのことを教えてもらい、学ばせてもらいました。厳しくされたとも思いますが、甘やかされてきたなとも思います。プロになった頃の自分では想像できない今があります。育成年代の時は全国区の選手ではなかったですし、それでもユースに上がれて、トップチームに昇格できて、プロにしてもらいました。僕の中にキラリと光る何かを見つけてくれた指導者や関係者の方々に感謝したいですし、その人たちの判断が間違っていなかったことをこれからの活躍で証明していきたい」

 

 

ファン・サポーターへの思いも溢れ出る。プロ入りから現在までの5年半は遠藤にとって一生の財産であり、血肉だ。どんな状況、場面でも真っすぐに応援し、背中を押してくれた人たちへ決意を新たにした。

「プロになってすぐの頃は自分のせいで勝ち点を落とした試合がたくさんあったと思います。それに決定機を外したことが何度あったことか。サポーターの皆さんは遠藤渓太で肩を落としたことがたくさんあると思います。優勝した2019年は少しだけ貢献できたかもしれないけど、自分としてはたくさん支えてもらったことへの感謝しかありません。恩返しはまったくできていないので、これからの活躍で恩返しさせてほしいです」

 

 

マリノスと横浜を巣立ち、ドイツの空へ羽ばたいていく。

遠藤渓太がトリコロールを卒業した。

 

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