「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「プロポーズは、テツさん(榎本哲也)に相談しました。それから一緒に婚約指輪を買いに行きました(笑)」 [小椋祥平インタビュー(vol.2)]

 

トリコロールを纏った男たち
小椋祥平インタビュー(vol.2
インタビュー・文:藤井 雅彦

 

前回からつづく

 

小椋祥平がトリコロールの門を叩いたのは、今から13年半前の2008年初頭のこと。

水戸ホーリーホックで絶対的な地位を築き、J2では名の知れたプレーヤーになっていた。

しかしJ1レベルではまだまだ無名の存在。

「若手からも『この人誰ですか?』という雰囲気で見られていました。周りの選手みんなが怖かったという記憶しかありません」

日々のストレスは勝てる見込みの少ないパチンコにぶつけるしかなかった。

時間が経った今だからこそ明かせる秘話がある。

 

 

――水戸ホーリーホックから横浜F・マリノスへ完全移籍したのは2008年でした。当時の心境や出来事を覚えていますか?

「水戸で4年間プレーさせてもらって、チームの中である程度の立ち位置になっていたと思います。でも北京五輪を目指す日本選抜に選ばれてJ1で活躍している選手たちと一緒にプレーしたことがきっかけで、もっと高いレベルでプレーしたい、もっともっとうまくなりたい、という思いが強くなりました。ルーキーの時からお世話になった前田秀樹監督が水戸を去るタイミングで、ここで決断しなければ次のチャンスはないかもしれないという気持ちで移籍しました」

 

――横浜F・マリノスへの加入を決めた理由や決め手は?

「実は、マリノスだけでなく大宮アルディージャも同じタイミングで興味を持ってくれていました。正直に言うと、大宮に移籍して試合に出場して、そこからさらにステップアップしてマリノスのようなビッグクラブに行く未来予想図を描いていました。いきなりマリノスに移籍しても通用する自信がありませんでした。でも代理人の考えもあって最終的にマリノスに決めました。水戸時代より年俸は上がりましたけど1年契約でした。当時は複数年契約という仕組みがあることも知らなかった(笑)」

 

 

――実際に加入してみて、すぐに馴染めましたか?

「いえ、周りの選手みんなが怖かったという記憶しかありません(笑)。水戸で試合に出ていたのでJ2ではそこそこ名前が知られる存在だったかもしれないけど、J1のマリノスでは『誰?』という目で見られました。大卒だけど同い年で同期の兵藤(慎剛)は練習生で来ていたのでチームにも馴染んでいて、期待も高くて注目される存在でした。それに比べて水戸から移籍してきた自分はまったく相手にされていませんでした。年齢がひとつ下の代には(田中)裕介や(狩野)健太、(飯倉)大樹、アマ(天野貴史)がいて、その下には(長谷川)アーリアや乾(貴士)がいたけど、彼らからも『この人誰ですか?』という雰囲気で見られていましたから(笑)。誰も話しかけてくれなくて、孤独でした」

 

――先輩選手たちはいかがでしたか?

「マツさん(松田直樹)と(中澤)佑二さんのふたりはオーラがすごくて、日本代表としてプレーする姿をテレビで見ていたので『有名人がすぐ近くにいる!』という感じでドキドキしました(笑)。

 

 

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