最後の練習を終え、駐車場まで付き添ったのは喜田拓也。 旧知の仲である二人に特別な会話は必要なかった [高野遼、ジュビロ磐田へ完全移籍]
高野遼がトリコロールを巣立つ。
小学校4年生の時、初めて育成組織の門を叩いた。同期の喜田拓也とともにサッカーを楽しみ、学び、夢中で駆け抜けた。
ユースからトップチームへの昇格こそ叶わなかったが、日本体育大学での4年間を経て再びマリノスに帰ってきたのは2017年のこと。念願のプロ契約は、自身のサッカーの礎となっているチームだった。
とはいえ順風満帆ではなかった。2017年夏から1年半、J2・ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍して出場機会を求めることに。すべてはマリノスで活躍するのに必要な血肉を得るためだった。
復帰した2019年初頭。前年まで左サイドバックのレギュラーを務めていた山中亮輔が浦和レッズへ電撃移籍していった。開幕戦のガンバ大阪戦でチャンスを得たのは、充実のプレシーズンを過ごした高野だった。
ウォーミングアップを終え、キックオフに向けて準備していた。かつてない緊張感が込み上げてくる。スパイクの紐を結ぶ手には自然と力が入り、あろうことか試合直前に切ってしまった。円陣を組む直前に急いでスパイクを交換したのは、今となっては笑えるエピソードだ。
そのガンバ戦を勝利し、つづくベガルタ仙台戦にも先発してチームは2連勝。高野はアタッキングフットボールにおける新しいタイプの左サイドバックとして奮闘し、これから飛躍を遂げるはずだった。
その矢先、練習中に負傷に見舞われる。右ひざ前十字靭帯損傷で全治8ヵ月見込みの重傷。それでも明るく振る舞っていた記憶が蘇ってくる。
「僕、筋肉が多いから治りも早いみたいですよ」
周囲を心配させないための言葉の彼は、もちろん笑顔だった。
すぐさま動いたのは、盟友の喜田だ。長期離脱の高野のためにメッセージTシャツの作成をスタッフに嘆願。3月17日の大分トリニータ戦のウォーミングアップで着用することに。ともに戦う仲間からの熱い思いを受け取り、高野は再起を誓った。
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