「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「(妻と子供と離れて) 寂しい気持ちが本音だけど、それでも僕は強くなければいけない。ピッチ上では常に強くありたいと思っていますし、活躍することで家族に良い報せを届けたい」[レオ・セアラインタビュー前編]

【レオ・セアラ選手インタビュー(前編)】

実施日:725日(日)

インタビュー・文:藤井 雅彦

 

 

レオ・セアラの来日から約4ヵ月が経過した。

日本特有の暑さにもすっかり慣れ、コンディションは上がってきているように見える。

しかし心のコンディションは万全とは言い切れない。

愛する妻と娘と離ればなれになって異国の地で生活するのがどれだけ大変で、心細いことか。

寂しさを押し殺し、自身のゴールとチームの勝利を目指す。

活躍することで家族に良い報せを届けたい」から。

 

 

 

 

日本政府が新型コロナウイルス感染拡大の状況を鑑み、新規入国制限措置を取ったのは1月上旬のこと。そのためレオ・セアラはマリノス加入決定後も来日できなくなってしまった。

ブラジルで足止め状態となり、悶々とした日々を過ごした。それでもコンディションを維持するために一人でトレーニングに励んだ。出口の見えないトンネルに潜り込んだ状態となった当時を、レオはこう振り返る。

 

 

「チームはトレーニングキャンプを行い、開幕に向けて準備を進めていました。でも僕は日本に入国することができず、一人でトレーニングするしかない状況でした。いつブラジルを出発できるか分からないけど、いつチームに合流しても大丈夫なように最低限の準備をしていたつもりです。でもチームトレーニングと同じようにコンディションを保つのは難しかったので、当時は心身ともにとても難しい時間でした」

 

 

出鼻をくじかれた格好になってしまったレオを支えたのは、最愛の妻ともうすぐ生まれてくる予定の赤ちゃんだった。先の見えない日々と引き換えに、レオは今その瞬間を懸命に生き続けた。

そして3月23日、待望の第一子となる女の子が誕生した。

「出産に立ち会うことができて、妻が入院していた3日間はできる限り病院で付き添っていました。退院して家に戻ってからもずっと妻と娘と一緒に過ごし、日本へ発つまでの10日という時間はあっという間に過ぎていきました」

 

 

4月になり、状況が少しずつ緩和されていくと、レオは日本へ向かう飛行機に乗った。

しかし、それは同時に最愛の妻と娘と離ればなれになることを意味していた。

「いつ日本に出発するか分からない時期だったので、僕は娘が生まれてからの時間を毎日大切に過ごしたよ。娘の重さをしっかり覚えているし、匂いも忘れたことがない。でも人生で初めて授かった赤ちゃんだったので、妻は大変だったと思います。なかなかおっぱいを吸ってくれなくて、娘と妻が泣いてしまうこともありました」

 愛おしい日々に別れ、レオは戦いの場である日本へ向かった。

 

 

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