「セキさん(関塚監督)はそれでも練習試合を見に来て、自分のことを気にしてくれていた」(比嘉) ・・・今回の移籍実現は『関塚隆監督』の存在なくしてありえなかった [比嘉祐介、千葉へ完全移籍] 藤井雅彦
29日、横浜F・マリノスはDF比嘉祐介(26)がJ2のジェフユナイテッド市原・千葉に完全移籍することを発表した。比嘉は2012年に流通経済大学から加入して4年間在籍(2014年は京都サンガに期限付き移籍)したが、2015年シーズン終了後に契約満了となっていた。今回の移籍は契約非更新選手のため移籍違約金はかからない。
マリノスを明るく照らした沖縄出身プレーヤーの行き先は、千葉だった。契約非更新が発表された11月の終わりから、主に代理人が移籍先を模索して動き出す。当時は移籍市場が動き出していない時期で停滞気味だったが、J1昇格プレーオフやチャンピオンシップなどが終わると動きが一気に加速する。そこで急浮上したのがJ1昇格を狙う千葉であった。
千葉は左SBのレギュラー・中村太亮をジュビロ磐田に放出し、SBが手薄な状態にあった。ヴァンフォーレ甲府から阿部翔平を獲得しものの、それだけでは層の薄さは否めない。そこで白刃の矢が立ったのが阿部とはプレースタイルの異なる比嘉である。阿部は左利きで経験豊富なSBだが、比嘉のようなアグレッシブさや対人の強さに懸ける。異なる特徴を持つ選手を保有するのはチームにとってもプラスなのだ。
阿部は正確なキックで周囲を使うことのできる優秀なプレーヤーである。対して比嘉は“使われるタイプ”だ。千葉の戦力はJ2では間違いなく上位で、どの相手にもある程度ボールを保持できる。そこで比嘉のように走れるSBは良さを出せる可能性が高い。フクアリのタッチライン際をアップダウンする比嘉の姿は比較的想像しやすい。
そして今回の移籍実現は『関塚隆監督』の存在なくしてありえなかった。関塚監督といえば2012年のロンドン五輪代表を率いた監督で、比嘉は本大会直前まで代表に名を連ねていた。関塚監督はアジア予選で比嘉を積極的に起用し、存在価値を高める一端を担ったといえる。以前、比嘉が関塚監督について、こんなことを言っていた。
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