「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「シモさん、泣いていたよ」 ・・・不器用な男、下條佳明チーム統括本部長退任

 

 

「シモさん、泣いていたよ」

 その様子を見た選手たちも、胸に去来するものがあったに違いない。

3月31日、チームがいつものように新横浜公園内で練習をスタートする直前に、下條佳明チーム統括本部長が選手と現場スタッフに別れの挨拶を行った。最初は普段通りの声のトーンで話し始めたが、次第にこみ上げてくるものがあった。目に光るものを隠し切れなかった。

「本当は泣くつもりじゃなかったし、話し始める前は普通だった。でも、この前のナビスコカップのフロンターレ戦の話をしたあたりから、ちょっとずつ…。普段リーグ戦に出ていない選手たちで臨んだけど、ウチらしい戦いをして勝つチャンスを作ってくれた。チーム全体の底上げができていると感じた。それがうれしくて…」

 話し終えると、ポケットからハンカチを取り出し、必死に目を拭う。我慢したが、こらえきれなかった。練習後には、選手やスタッフと握手をかわし、それぞれとコミュニケーションをとる。その頃には柔和で優しい笑顔に戻っていた。

それがチーム統括本部長でいられる、最後の日だった。

 

3月25日、クラブは今月いっぱいで下條佳明チーム統括本部長が退任することを発表した。同時に4月からスポーティングダイレクターとしてアイザック・ドル氏が就任すると発表。これは下條が2010年から6年以上に渡って務めた強化責任者の立場から離れることを意味していた。

横浜F・マリノスにとって、さまざまな出来事が起きた6年間だった。2010年といえば、中村俊輔がマリノスに復帰したタイミングである。その前年に合意間近だった獲得交渉が暗礁に乗り上げた暗い過去があった。その経緯を踏まえ、クラブにとって失敗は許されなかった。そして必ず成功しなければいけない最重要課題を無事に完了した。

その年の11月末には故・松田直樹をはじめとする主力選手の大量契約非更新に、クラブのみならずサッカー界に激震が走った。マリノスタウン内のクラブハウスにサポーターが押しかけ、怒号が響いた。

「下條を出せ!」

 強化部の長として、矢面に立たなければいけない立場だった。

その後は2013年にリーグ優勝争いを演じ、2014年元日に天皇杯制覇を成し遂げた。さらにシティ・フットボール・グループ(以下、CFG)との資本提携を行い、世界的なネットワークを持つメガクラブとタッグを組んでチーム編成を進めた。

下條を語る上で嘉悦朗前社長の存在は切っても切り離せない。嘉悦氏は下條に全幅の信頼を置いていた。同氏は経営面だけでなくチーム編成にも関与するタイプだったが、それは下條との二人三脚でもあった。プレゼン能力に長ける前社長が表舞台に立つことも多かったが、下條は実直な性格でそれをサポート。日産自動車サッカー部時代から日本サッカー界に関わる人間として、数多くの人脈を有効活用した。

 

 

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