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「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

金髪の「左」サイドバックとの出会い [短期集中連載:ドキュメント 小林祐三 vo.1] <無料>

 

 

 小林祐三が柏レイソルから横浜F・マリノスに移籍してきたのは2011年だった。その直前に大量の主力選手が契約非更新となり、クラブは自らの判断で岐路に立とうとしている時期だった。

 あれから6年の月日が流れた。その間にリーグ戦で積み上げてきた試合は、実に『187』。1年平均30試合以上コンスタントに戦い、それ以前に出場していたJ1試合数と合わせて、ちょうど300試合に到達した。

 来季、右サイドに金髪がトレードマークの背番号13はいない。横浜F・マリノスと小林祐三は別々の道を歩み始める。だが、その前に記しておきたいことが山ほどある。

 

 

 

出会いと別れ。

そしてトリコロールでの再会。

 

 小林祐三との出会いは2009年まで遡らなければならない。当時、筆者はサッカー専門新聞『EL GOLAZO』にて、横浜F・マリノスと掛け持ちで柏レイソルを担当していた。前年はマリノスを単独取材しており、09年からマリノスに加えて、新たにレイソルを受け持つこととなった。

 右も左もわからない新たな取材場所で出会ったのが、当時23歳の小林である。当時から頭髪を金色に染め上げ、オリジナリティ溢れるファッションを貫いていた。

「ちょっと近寄りがたい雰囲気だな」

 これがファーストコンタクト前の率直な印象だった。あの頃乗っていた車はチーム内で唯一のメーカーで、それが彼のこだわりであり、生き方でもあった。そのような理由から名刺を切る順番としては、所属選手の中でかなり遅かった記憶がある。

 だが、いざ話してみると、サッカーIQの高さと独特な見解を持っていることに気付かされた。記者からすれば「面白いヤツを見つけた」で、まさしく記者冥利に尽きる出来事だ。すぐに小林の魅力に惹かれ、積極的な会話を試みた。午後練習でクラブハウスを出るのが遅くなった日は、練習グラウンド近くの定食屋で“延長戦”に突入することもしばしば。その時間帯には、サッカーだけでなくプライベートを含む互いの価値観についてもよく語り合った。

 ピッチ内に目を移すと、マリノス時代しか知らないファンには想像しにくいだろうが、主に左SBを務めていた。オランダで開催された2005年のワールドユースに出場していた時の触れ込みは『守備のユーティリティプレーヤー』。自分がレイソル担当だった頃の小林は、まだ左SBを中心にさまざまポジションで起用されていた。

 

つづく


【小林祐三へのメッセージ】

GK 1 榎本 哲也

「パンゾーは人間的にすごくいいヤツで、自分のことも慕ってくれていたように思う。身体能力が高くて、最後のところで足が伸びて、無理が利く。個人的にそういったタイプの選手はすごく好きなので、一緒にプレーしていて心強かった。だから契約満了になったことはとても寂しい。最後にあいさつをしたときは涙を流していて、オレはそれを見ていられなかった。だから自分は下を向いて声だけを聞いていた。違うチームになっても、必ずどこかで対戦できると思う。絶対にトップレベルでプレーできる選手だから」


 

 

 

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