「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

齋藤学はワールドカップ出場を本気で目指している。だから自身のプレーに集中できる状況と環境が必要だった  [齋藤学が移籍を決断した背景]

 

今回の齋藤学の決断に、多くのサポーターが動揺と困惑に苛まれ、あるいは憤るのも無理はないだろう。愛媛FCに期限付き移籍した2011年を除き、育成組織からマリノスで計18年間を過ごした生え抜き選手が、あろうことか同県に籍を置くライバルチームに完全移籍する道を自らの意志で選んだのだから。

既に各種メディアで報じられているとおり、齋藤はマリノスとの契約を残していないため違約金は発生しない。いわゆる“ゼロ円移籍”である。今冬、同じ完全移籍でもマルティノスや前田直輝は複数年契約を残していたため違約金が発生し、マリノスは戦力を失うのと引き換えに相応の対価を手にした。本件はそれとは違う類の移籍と言える。

話は昨オフに遡る。齋藤は海外移籍の可能性を模索したが、最終的に契約合意には至らなかった。そしてマリノスは齋藤の複数年契約が切れるタイミングで新たに単年契約を結んだ。移籍していたとしても、行き先が国内外にかかわらず移籍金はクラブの手元に残らなかった。

ビジネス的な観点でリスクヘッジが甘かったとすれば、そのタイミングで複数年契約を結べなかったことか。ただ、その当時も川崎フロンターレをはじめとした国内の複数クラブが獲得に名乗りを挙げていた。そして齋藤側には1年後の今オフに海外移籍を再検討する考えがあった。それゆえの単年契約という着地点であり、クラブ側にすべての非をなすりつけることはできない。

その際、齋藤本人が背番号変更を希望し、当時のチーム編成の長である利重孝夫チーム統括本部長と数回に渡り協議を重ねた。結果、契約更新と同じタイミングで背番号10への変更が発表された。しかしながら、マリノスに骨をうずめると決めたわけではなく、あくまで2017年度における身の振り方であった。

背番号11のままで、主将も引き受けていなければ、今回の移籍時の見え方は違ったはず。しかも両方を背負って戦ったのがわずか1年という時間の短さも、周囲からすると気持ちの落としどころを見つけにくい要因になっている。

しかし、前主将の中村俊輔が移籍という道を選び、誰かが重責を背負わなければいけなかった。まさしく火中の栗を拾うような作業である。自らを奮い立たせるという意味で齋藤はあえて主将就任の打診を快諾したが、自らが適任かどうかを何度も何度も自問自答し、その結論はおそらく出なかった。

ただキャプテンマークを腕に巻くだけでない。さまざまな場面で橋渡し役を務めた。日産自動車、シティ・フットボール・グループ、そしてマリノスという歪な三角形に挟まれながら奮闘したが、背負うべきものはシーズン中にさらに増えていった。ピッチ内で無得点が続く苦しい時期と重なり、心身ともに負担が大きくなっていく。

 

 

移籍先が川崎フロンターレでなく、かねてから夢として掲げている海外移籍であれば、サポーターも本人の決断を尊重して受け入れられたかもしれない。ちなみに条件面でフロンターレが大きく上回っているわけではない。ただし、今オフにマリノスが齋藤に提示した内容にまったく問題がなかったとも言い切れない。

 

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