久保憲司のロック・エンサイクロペディア

『サテライト・オブ・ラブ』 ・・・親からゲイを治療するために電気治療を受けさせられたルー・リード(久保憲司)<無料>

前回はザ・モーダン・ラヴァーズのことを世界で一番最初のオタク・バンドと書きましたが、本当にオタクという新しい人種のことを歌にしたのはルー・リードだと僕は思います。

ジョナサン・リッチマンはヴェルヴェッド・アンダーグラウンドの追っかけだったので、ぼくはルー・リードの歌を聞いていて、ジョナサン・リッチマンがやっていたザ・モーダン・ラヴァーズは世界で一番最初のオタク・バンドなのかなと思ったんでしょう。

僕は昔ジョナサン・リッチマンのツアー・マネジャーをしたことがあるんですけど、その時、ジョナサン・リッチマンからヴェルヴェッド・アンダーグラウンドの話聞きまくりましたよ。伝説がたくさん聞けました。ジョナサンはルー・リードがヴェルヴェッド・アンダーグランドを抜けた日のライブ見てるんですよね。ジョナサンの地元ボストンで、伝説のヒッピー会場ボストン・ティー・パーティーで、ジョナサンとメンバーが楽屋にいるとルー・リードはメンバーに一言もしゃべらず、楽屋を通り抜けて、どこかに消えたとそれがルー・リードの最後のヴェルベッド・アンダーグランドのライブだったと。なんかルー・リードらしいですね。

 

 

ルー・リードの『サテライト・オブ・ラブ』は3次元よりも2次元の人しか愛せなくなった人の歌だとぼくは思います。まさにオタクですね。

サテライト・オブ・ラヴ メロディも素晴らしいが、デヴィッド・ボウイミック・ロンソンのプロダクションも素晴らしいです。デヴィッド・ボウイのコーラスがやばすぎます。何回聞いても泣けます。

出だしの“人工衛星が空に飛んだという出だしだけで、うわっーて気持ちになります。つぎの “こんなことが(人工衛星が打ち上げられる)、気を狂わせてくれる”というフレーズもすごい、ルー・リードだからたぶん、 “こんなことが気をまぎらわせてくれる”と歌っているんでしょう。

ブリッジの “それを(人工衛星)をすこし見て”というフレーズの後の “TVでこういうことを見るのが好き”というオチ。

そして、サビがサテライト・オブ・ラブ、人工衛星の恋です。

実体験するよりもTVを通して経験する世代の不思議さを歌った歌なんでしょう。

ルー・リードがなんでこんな歌を作ったか、たぶん、ニューヨーカーみたいな雑誌に “この頃は実在の人物よりも2次元の作品に恋する人種がいる”みたいな記事があって、ルー・リードはそういう記事を読んでその人とたちのことを歌にしようと思ったのかなとぼくは思います。さすが工場の製品のようにどんどん歌を作らされていた元職業作家です。宇宙時代だから人工衛星の歌を歌えば売れるとかそういう発想で昔は歌が作られていたのです。

今はそんな風にして作られませんね。こんな感じでヒットが生まれていた時代って、バカぽいけどいいですね。そんな時代がまた来るんですかね。もう来ないですよね。すごい人口知能が出来てもきっと誰も “シリー、シリー、君の声がたまらない”なんて、その人口知能の歌とか書かないでしょうね。 映画は作られましたけど。映画の方がまだ下世話な世界なんですかね。

逆にそろそろこういう発想の方が歌が売れるかもしれませんね。北陸新幹線の歌とか作ったら売れるんじゃないですか、 “いいな、いいな北陸新幹線、カニ食べに行こう”みたいな。もう桜とか卒業とか卒業した方がいいです。もう桜とか卒業とか歌にする人いないか。雪についても歌わなくなりましたね。

ルー・リードに話を戻します。彼が「サテライト・オブ・ラブ」みたいな曲を作ろうと思ったのは、やはりアンディ・ウォーホールを見てたからでしょう。自分がセックスするよりも他人のセックスを見ている方が興奮する人たち。今でいうNTR、ネトラレですね。誰かNTRの歌を作ったらいいのに、 “お前がやられているのを見る方が好き”すいません、しつこいですね。

ルー・リードの歌に切なさを感じるのは、彼がゲイだからです。そして、親からゲイを治療するために電気治療を受けさせられた人間だからです。

時計じかけのオレンジ [DVD] 僕は電気治療って、だた電気を流すだけと思っていたんですが、ゲイやマゾヒズム、麻薬中毒を治すためにどういう電気治療をやっていたかというと、同性愛の写真を見せて電気を流し、異性愛の写真の時は電気を流さないというとんでもないことをやっていたんです。完全に気が狂ってます。映画時計じかけのオレンジと同じことをやっていたんです。びっくりしました。あんなの冗談だろと思っていたら、本当のことだったのです。

こんな治療を受けた人間は、きっとルー・リードみたいな偏屈な人間になってしまいます。ずっと地球を回って誰からも距離を置いている人工衛星のような人間になりたいとルー・リードが思ったとしても不思議じゃないです。実物の人間に恋するよりTVの人間に恋する方がどれだけ楽か。TVの人間は「あなたはゲイなの?本当は私と会いたくないんでしょう?」みたいなめんどくさいことは聞いてきません。

なんとか女性も好きになろう、普通のアメリカ人、金持ちのユダヤ人の両親に気に入られる女性を愛せる普通の男でいようと悩み苦しんだルー・リードにとって、2次元の愛はどれだけ理想的なものだったでしょう。男を愛したら、何百ボルトの電気を味合うショックを味わった人間に普通の恋をしろというのはどんなに酷なことか。彼の作品はそういう自分との戦いの歴史です。

そんなルー・リードですが、最後はローリー・アンダーソンと仲良く暮らし、亡くなったという事実だけがぼくにはうれしいです。ルー・リードが自分の性とどう折り合いをつけていったのかはぼくには分かりません。ずっと苦しんでいた彼の人生が最後は穏やかだったというのはうれしい事実です。

たぶん、これを読んでいる人で、いろんなことに悩み苦しんでいる方もおられるでしょう。きっとルー・リードのようにたくさん悩み苦しんでおられることでしょう。でも、きっとルー・リードのように最後は太極拳をやり、好きなカメラで景色を撮り、好きな人と一緒に穏やかに過ごせる日を誰もが手に入れれるとぼくは信じています。

薬と酒に溺れたルー・リードでさえ、そこから抜け出すことが出来たのです。きっと誰でも出来るはずです。ルー・リードが問題を解決したか?解決したと思いません。ルー・リードの歌を聞いても答えはありません。でも、彼の生き方と歌を参照していくと、生きていく答えみたいなものが、僕には見えます。

ちょっとオタクな話からずれてしまいましたね。ルー・リードにはもっとオタクな歌があるんです。

ヴェルヴェッド・アンダーグラウンド「ニュー・エイジ」

 

歌っているのはダグ・ユール、完全にルー・リードの声と一緒。

倒錯してますな。ルー・リードとダグ・ユール、ヤオイですな。キャーヤラシイ。ジョン・ケイルが脱退させられたのはルー・リードと寝なかったという説があります

「ニュー・エイジ」という歌で、映画の女優に惚れるファンの歌です。ルー・リードはこう歌ってます。“ 「サインもらえますか?」男は太った金髪の女優にそう話かけた。「あなたの出た映画は全部見たんですよ。あなたがロバート・ミッチャムにキッスしたとき…でも彼の心は射止めなれなかったですね」”

歌を聞いているとこの主人公はストーカーのようで少し気が狂っているように感じる。サビは“恋を探している”だ。たぶん、それはジョン・レノンを射殺した犯人のような感じなんだろう。ルー・リードはそれを予感していたのだ。こういう時代になるだろうと。ルー・リードの時代からそういう人はいたんですけど。でも、ルー・リードはそれをニュー・エイジ、新人類と歌ったのです。俺もお前らと変わらないよ。本当の姿は見せられないんだ、見せると電気ショックを浴びせられるんだ。自分が本当にどういう人間なのか、どういう人間でいたのか、よく分からないんだよと。

泣いてまうわ。

70年代前半にこんなことを歌っていたルー・リードは天才だと僕は思う。

 

 

 

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