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松沢呉一のビバノン・ライフ

婚姻外セックスの否定としての売買春否定—兼松左知子著『閉じられた履歴書』のデタラメ 11-[ビバノン循環湯 252] (松沢呉一) -5,621文字-

婚姻外セックスを禁止したいのが兼松左知子の本音

 

vivanon_sentence女子大生のともみも「売春もどき」の幸子と同様、不特定多数の相手とホテルに行っており、大変充実したセックスライフを送っている。

 

ホテルに行った男たちのうち何人もの人が、
「このまま、あなたとつきあってゆきたい」
と、口にしたが、彼女はうす笑いを浮かべたまま、頭を横にふったという。

 

ともみ自身が「私はうす笑いを浮かべて〜」と語ったとは思いにくいので、この表現もまた兼松さんの脚色と想像でき、たぶん彼女は明るく微笑んで断ったに違いない。

他人が書いたものを読んでいると、「その場にいたわけでもないのに、どうしてそんなことまでわかるんだよ」「本人に話を聞けているわけでもにないのに、どうして内面までわかるんだよ」という表現が出てくることがあって、私は「噓くせえ」と思ってしまう。

それでもライターだったら許容範囲かと思うけれど、兼松左知子は、ライターではなく、小説家でもない。半ば公的な婦人相談員という立場にあって、その記録が本書のはず。そこでは慎重さ、正確さ、公平さが求められ、このような脚色は避けてしかるべきだが、本書ではあらゆる点で脚色、誇張によって著者の道徳が反映されている。

私自身、話を聞ききれなかったところでは推測を交えることがあるし、そういった文章を本人に見せて承諾してもらうことはあっていいと思うが、兼松さんがこの本を、すべての発言者に承諾してもらっているとは思いにくい。兼松さんは平気で噓をつける人間なのだろう。

私が同じともみに取材したとしたら、まったく別の印象の文章になるはずだ。この兼松さんの文章の範囲でさえ、ともみは自立した性を享受できている素晴らしい女性であることがわかる。薄笑いを浮かべながら、こんな文章を作り上げるのが、兼松さんという人である(ここは私も脚色してみました。違うというなら、ここもメモを公表してください)。

 

たった一度の外泊で相談所に娘を連れてくる母親

 

vivanon_sentenceでは、こづかいをもらうことくらいはあるらしい彼女がどうして相談所に来たかというと、クリスマスの日に友人のパーティに行って外泊したために、親が心配して彼女を相談所に連れてきたという。たった一日の外泊で。ともみは二十歳なんですよ!

叱るべきは、この母親だ。

母親の異常性に触れることなく、兼松さんはこうまとめている。

 

日頃、たいした希望もなく、生活の張りもなく、刺激とやすらぎと、非日常的な世界を求めてそれだけが楽しみ、という人たち。このような人たちの行為は今すぐ、売春とは名付けられないかもしれない。自分から相手に金を請求し、これは金になるから−−と売春するのではない。男たちから声をかけられ、人恋しさから、売春もどきの行為に入るのである。ここに、性の無機化が進行している今日の都会の姿がある。

 

なるほど、こんなことを書く兼松さんが、母親の異常性に気づけるはずがなかった。

どこをどう読んでみても、ともみは、ここにある兼松さんの解釈にあてはまりそうにない。彼女は漫然と大学に通うことよりも、よりはっきりとした目標を実現するために専門学校に行きたいと思っている。立派な心掛けの娘さんである。

そして、セックスが好きなんだろう。一人の相手よりもたくさんの相手とするセックスが、である。

こんな彼女だから、友達とパーティをやるのも楽しいし、将来の夢を追うのも楽しいし、セックスをするのも楽しいってことだ。

それをまあ兼松さんたら。人をバカにすることくらいしか刺激も楽しみもやすらぎもないのか。なんてことを勝手に書かれたら、兼松さんのような鈍感な人だって、さすがに腹が立つんじゃないのか。しかし、この人は何十年間も、そんなことをやり続けているのだ。いくらそれでメシが食えるのだとしても、どれだけ淋しい人生か。

兼松さんが、どのようなセックス観を持ち、何をもって売買春を否定しているのか、薄々わかってきたことだろう。薄々じゃないか。

本当のことを言えば、この人はこの世界の誰にも愛のないセックスをして欲しくないのだ。愛があったとしても、複数の人とセックスして欲しくない。自分がしないだけじゃなく、どんな人にもして欲しくない。そのことを露骨に言ったところで誰も相手にしてくれそうにないので、一般的には通りのいい売買春に問題をすり替えている。ともみの例を見ると、そうとしか思えないではないか。

しかし、兼松さんが婚姻外セックスを否定するのは筋が通っている。どうしたって、今の日本において、こういうセックスには金品の授受がまとわりつく。食事や酒を男が提供し、その晩泊まるところを提供し、さらにはプレゼントだってする。

もし兼松さんのように売買春を否定するなら、こういった婚姻外セックスも否定するしかない。婚姻外セックスを否定する人々のみが売買春を否定する資格がある。

現に兼松さんはそうしているのだから、一貫性はあるのだが、これでは統一教会の道徳と同じでしかない。純潔主義。

 

社会全体で対策をとるべき事象も性風俗のせいにしてごまかす

 

vivanon_sentence性にまつわるリスクの問題もこの本から見えてくるのだが、このリスクの回避は社会全体が考え、対策をとるべきものであって、ここでも性風俗産業に押しつけるだけの兼松さんは百害あって一利なし。

例えば、トルコで働いていたセツ子は、客の子供を妊娠して出産している。避妊の指導をしなかったという点で店にも責任はあるが、本番行為がないことになっているのだから、その指導をすると売防法で摘発される可能性が出てきてしまう。売防法を維持することを主張する人々こそがリスク回避の妨害をしているわけだ。

セツ子は望んで出産しているのだが、一人で育てられないというので、自分で児童福祉施設に預ける。そのくせ、「子供を返せ」と福祉事務所の前でわめきちらしてもいる。ここでの問題は、母子が安心して暮らせる社会ではないことかもしれず、どう見てもトルコ風呂の問題ではない。

また、街娼の初子は、どうやら梅毒と思われる病気になり、子供を産めない体になっている。すぐに治療していればこうはならないわけで、社会全体、性感染症の知識の浸透、検査の徹底が望まれる。

妊娠も病気感染も、性労働者にとっては頭の痛い問題であり、この問題の解消は、性労働の否定ではなく、労働を肯定した上で対策を講ずることが最も効果的であることは言うまでもなかろう。

閉じられた履歴書』で、一カ所だけ「知恵おくれ」という表現が出てくる。この初子に対するものだ。

母親の言葉。

 

父ちゃんがトラックの運転手をして稼いだお金は、自分の身内と女狂いで、もういっぱいやった。初子を産んだ時も、わたしは五十日から土方の仕事についてましたんや。(略)

お腹にいるときから、『栄養失調やでぇ』といわれとりましたが、それが原因なのか、初子は小学校の一年生になっても、はきはきとよう口がきけまへんのや。運動会で、お友だちは、ぐんぐん走りよるのに、初子だけは、いつもビリで、よう早うに歩かれへんのでした。(略)

それでー、知恵おくれの学校で面倒をみてもろたんです。

 

この初子は、学校を出てから紡績工場で働いたのだが、この工場は倒産。その後、結婚をするが、義理の父が彼女に迫り、その度に実家に逃げ帰り、子供を母に預けて仕事に出る。しかし、ろくな仕事がなく、いろんな男とくっついては離れ、やがて神戸で男につかまって売春をするようになる。この男が、彼女を売り飛ばそうとしていることがわかり、今度は歌舞伎町に逃げて浮浪者となって救急車で運ばれる。

この話にも強い怒りを感じる。街娼をすることにではなく、この義理の父と、彼女を守ってやらない夫と、売り飛ばそうとした男に対してだ。

初子のように、知能にいくらかの問題があり、貧しい家庭に育ち、学歴がなく、離婚歴があり、子供がいて、という環境にある女性が職を見つけることは容易ではない。その改善が求められるとして、そういった女性らに職を提供する性労働は褒められることがあっても非難されるべきではないだろう。

 

娼婦の知能程度

 

vivanon_sentenceでは、ここで改めて、街娼は「みんな精神的に問題を抱えていたり、知恵遅れといわれる人だったり」と言ってのける高里鈴代さんの呆れた発言を検討してみよう。

 

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