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無料公開【Gマガ】〜ターニングポイント〜 ザスパFW加藤潤也 「挫折というか、挫折までいかないというか・・・」

 〜ターニングポイント〜

ザスパFW加藤潤也

「挫折というか、挫折までいかないというか・・・」

 

 

選手たちはどのような道を歩み、いまザスパにいるのか。

それぞれのターニングポイントから現在地を探る。

             

 

 

ターニングポイント1

越境で米子北へ進学

「中学時代は、“中二病”的なところがありました(笑)」

 

166センチ62キロの快速アタッカー。

 

2019シーズンのザスパで背番号7を背負い、9ゴール8アシストをマークしチームのJ2昇格に大きく貢献してみせた。

 

1994年広島県出身。中学時代はサンフレッチェ常石に所属し、高校は米子北へ。大学は、千葉県の城西国際大へ進学し、2017年にガイナーレ鳥取に加入。鳥取での2年間で18ゴールを決めて、2019年にザスパからのオファーを受けた。

 

J3での3シーズンで27ゴール。シーズンごとに進化を遂げる加藤だが、高校、大学時代の情報は薄い。彼は、学生時代にどんな時間を過ごしてきたのか。

 

ターニングポイントから「KJ」の原点を探るべく、ZOOMでの取材に臨んだ。

 

加藤の第一声は、こんな言葉だった。

 

「いろいろ考えてみたんですけど、ターニングポイントって、ここっていうのが、あまり思い浮かばないんです」

 

素で答えてくるのも、彼らしいと思った。今回の取材は、高校、大学時代について聞きながら、分岐点を探す作業となった。

 

米子北は、鳥取県の高校サッカー名門。加藤は、広島から越境で米子北へ進学した。3年生には日本代表CB昌子源(現・G大阪)がいた。米子北は、昌子が2年生だった2009年にインターハイで準優勝した。ちなみに、そのときの優勝は、前橋育英で、小牟田洋佑、川岸祐輔がプレーしていたた。

 

「広島ユースに入れなくて、高校サッカーを考えたときに、選手権でプレーしたいという気持ちがありました。僕が高校に入る前の年に、米子北がインターハイで準優勝していたので、選手権に近いチームだと思って、練習参加して進学を決めました」

 

加藤には、選手としてのコンプレックスがあった。体が小さかったのだ。

 

「高校に入ったときは身長も155センチに届かないくらいで、体重は45キロくらいだったと思います。昌子さんたちの先輩がすごかったので、最初はフィジカルトレーニングで体を大きくしました。フィジカルトレーニングで砂浜を走ったりして1年間で体重を7キロくらい増やしました」

 

米子北の練習は、過酷だったという。

 

「中学校までは、サッカーに真剣に打ち込んでいるというわけではなかったんです。カッコつけていたわけではないですが、“中二病的”なところもありました(笑)。だから高校時代は大変で、すべての面で鍛え直してもらいました」

 

(※中二病=思春期の背伸びしがちな言動)

 

3年生だったCB昌子の存在は大きく、その姿をみていたため、プロが遠い場所に見えていたという。

 

「プロには行きたかったですが、自分は体が小さかったですし、昌子さんの大きさとパワーがプロレベルだと思っていたので、現実的ではありませんでした。高校1年生で、選手権メンバーに入れてもらったのですが、ベンチで見ていました。高校2年生のときは実力もなかったので、そこからは出たり、出なかったりでしたが、選手権には運もあって出場することができました」

 

キラリと光るものはあったものの、高校時代は全国レベルでの経歴は作れなかった。鳥取県の国体メンバーにも選ばれなかった。挫折は、高みを経験したあとに、感じる感情か。ターニングポイントがはっきりと思い浮かばなかった理由は、そこにあるのかもしれない。加藤は、発展途上だったのだろう。

 

「高校のときはずっと良くなかったですし、挫折というか、挫折までいかないというか・・・。そんな感じでした」

 

そして、関東地方の大学への進学を決意した。

 

(つづく)

 

(2020.05.21)

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