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開設7周年記念 記憶に残る記事を再掲②【インタビュー】塩谷司選手インタビュー「ラストメッセージ」(2012/8/6)※無料記事

絵に描いたようなサッカードリーム、サクセスストーリーを体現していった塩谷司選手。「ラストメッセージ」を読み返すと、彼がいかに有言実行していったかよくわかると思います。日の丸を背負ってクラブワールドカップや日本代表戦で戦う彼を、一ファンとしていつも全力で応援しています。

米村優子

8月5日第27節山形戦を最後にJ1・サンフレッチェ広島へ移籍することとなった塩谷司。
水戸で過ごした1年半という月日は、彼の人生の中でかけがえのない時間になったことは間違いない。
大学時代は無名の存在であったが、水戸加入後に急成長。そして今夏、塩谷のもとに複数のJ1クラブからオファーが届いた。
水戸への愛が深いからこそ、悩みに悩んだ。しかし、自らの夢に突き進むために断腸の思いで移籍を決意することとなった。
新たな旅へと出発する前に残してくれた水戸サポーターへの“ラストメッセージ”。


【写真 米村優子】

手ごたえを感じたのは昨年の夏ごろ

――昨年水戸に来たときのことを振り返ってもらいたいのですが、大学卒業するときどこからもオファーがなく、柱谷監督に誘われて水戸に来たということでした。水戸の第一印象は?
大学時代に神戸の練習に行ったことがあったんですよ。練習場もよくて、クラブハウスもあって、ロッカールームもある。しかも練習着も洗濯してくれる。すごく環境がよかったんですよ。プロはすごいなと思って、水戸に来たらまったく違った(苦笑)。ちょっとビックリしましたね。

――ここから這い上がってやるという気持ちで水戸に来たと思いますが。
もし、水戸でダメだったら、サッカーを辞めようというぐらいの強い気持ちで来ました。まだ成功したとは言えませんが、いい方向に向かったなと思っています。

――水戸に来る時、Jリーグで通用するという自信はありましたか?
あまりありませんでした。水戸はJ2の下位のチームでしたが、レベルの高い選手がたくさんいたし、試合に出られるのかなと不安に思いましたよ。とにかく必死でしたね。

――昨年、ルーキーながらも開幕スタメンを飾りました。ピッチに立ったときはどんな思いでした?
開幕前の鹿島とのプレシーズンマッチまで、先発じゃなかったんですよね。でも、鹿島戦の時にオモさん(尾本敬)が体調を崩して、急きょ先発のチャンスが来たんです。そこから使ってもらえるようになりました。鹿島や柏と戦って、通用する部分があったので、自信を持って開幕を迎えることができました。加入した当初は夏ぐらいまで試合に出られないんじゃないかと思っていましたけど、開幕から出ることができてすごくラッキーでした。やっぱり、開幕戦って独特の緊張感もあるし、雰囲気も違う。そこを経験できたことはすごくよかったと思っています。

――手ごたえを感じたのはいつ頃でしたか?
大きかったのは試合を重ねるにあたって、1人で守ることはできないということに気づけたことです。GKやボランチなど周りの選手と連係して守れるようになったときに「やれるな」と感じることができました。それは昨年の夏ぐらいでした。個人的には早い段階で自信がついたのですが、それに加えて、周りと連動した守備ができるようになったことでさらに自信が深めることができました。


【写真 米村優子】

センターバックのイメージを覆したい

――これまでで印象に残った試合はありますか?
うーん……すぐ忘れちゃうんですよね(苦笑)。勝っても負けても切り替えようという意識でやっているし、終わったことをあまり振り返ることはしないんですよ。でも、昨年鳥栖に0対5で負けた試合は目が醒めたというか、もっとやらないとダメだなと感じさせられました。5点ぶち込まれるということはさすがに経験なかったので、力のなさを感じました。

――試合を重ねるうちに積極的なプレーを出せるようになりましたね。特に攻撃面でサイドチェンジやオーバーラップなどダイナミックなプレーを出せるようになりました。
最初は緊張もしていたし、ミスしないようにプレーしていました。ただ、つなぎだしたら、イメージ通りにできたので、手ごたえをつかむことができました。

――塩谷選手は守備だけでなく、攻撃も魅力ですからね。自分でもそれは感じていますか?
センターバックってあまりパスをつなげるイメージないじゃないですか。そこを覆したいという思いはあります。最終ラインからつなげたら、攻撃がすごく面白くなる。センターバックだからといって、守備だけではつまらない。どっちかというと、僕は攻撃が好きなので(笑)。

――世界のセンターバックを見ていると、パスをつなげないと生きていけないですよね。
そういう時代になっていますよね。これからもそこは伸ばしていきたいです。

――そこは昔から意識していた部分ですか?
意識したというよりも、そういうサッカーが好きだったことが影響していると思います。蹴るサッカーではなく、しっかりつないでボールを転がして攻撃していくサッカーが好きでした。つなぐサッカーをしたいという気持ちがプレースタイルにつながっているんだと思います。


【写真 米村優子】

日の丸をつけることが柱谷監督への恩返し

――塩谷選手は柱谷監督抜きでは語れません。柱谷哲二監督は塩谷選手にとってどんな存在ですか?
恩師ですね。怒らせたくない存在(笑)。まあ、柱谷哲二と言えば、サッカーをやっていれば誰でも知っているような人だし、そんな人にサッカーを教わったことはすごいことだと思っています

――大学2年の時、塩谷選手がサッカーを辞めようと思った際、柱谷監督から「お前は才能があるんだから、真面目にやれ」と言われて、続けることを決意したとのことですが、その一言が人生を変えたと言っても過言ではないのでは?
それ、テツさん(柱谷監督)は覚えているんですかね? あの一言で人生が変わりました。それまでは「なんとかなるだろう」という甘い考えだったんですけど、「このままではいけない」と思うようになりました。練習に取り組む姿勢が変わりましたよね。テツさんは最初に僕の才能を認めてくれた人。テツさんに出会って、声をかけてもらって、今がある。テツさんがいなければ、今の僕は絶対にない。最高の恩返しは日の丸をつけることだと思っています。シーズン途中でチームを抜けることを本当に申し訳なく思っています。なので、広島に行って、試合に出て、活躍して、代表に選ばれることになったら、「移籍してよかったな」と思ってくれるはず。そう思ってもらえるように頑張りたいと思います。

――柱谷監督は「一つの仕事が終わったな」と言っていました。
テツさんから「俺についてくれば、間違いない」と言われて、水戸に来たのですが、その通りになりましたね。テツさんに出会えて本当によかったと思います。あそこでテツさんに出会ってなかったら、今頃どこで何をしていたか分からないですよ。そういう意味で僕はすごくラッキーだったと思います。

――さて、広島へ移籍することとなりましたが、移籍が決まるまでの経緯をもう一度教えてもらえますか?
7月中旬にあるJ1クラブからオファーをいただき、その直後に別のJ1クラブからオファーが届きました。その2チームで悩んでいて、7月中に決めようと代理人と話していました。それで決断しようと思った時に広島からお話をいただくこととなりました。それからテツさんに相談しに行って、「広島は3バックだし、お前は生きると思うよ」とアドバイスをいただきました。悩みに悩んで、最終的に広島に決めました。人生で一番悩みましたね。

――決め手は?
楽しいサッカーをしたかった。広島の攻撃的かつ流動的なサッカーの中に入ってどれだけできるか挑戦してみたかった。

――3週間ぐらい悩んだとのことですが。
そうですね。悩み過ぎて痩せるかなと思ったら、痩せなかった(笑)。

――J1の3チームが違約金を払ってでも欲しいと言ってくれることはすごく幸せなことですよね。
本当にそう思います。ありがたいですよね。シーズン途中なのに、快く送り出してくれた監督とクラブにも感謝しています。

――水戸に残ることも考えましたか?
当然、考えましたよ。ただ、シーズンが終わってから移籍すると、違約金が発生しなくなってしまう。そこはずっと引っかかっていたんです。移籍する際はちょっとでもお金を残したいとずっと思ってました。シーズン中に抜けることは本当に申し訳なく思いますが、お金を残せてよかったという思いはあります。

――移籍が決定した今の気持ちは?
昨年の夏ぐらいからJ2ではやれるなという感覚がすごくあって、時期は考えていなかったのですが、できるだけ早い段階でJ1に挑戦したいなと思っていました。今回、そのチャンスが来たので、率直にうれしいです。

――鈴木隆行選手が以前、「塩谷選手はJ2ではある程度の力でもやれてしまう。練習で高い意識で臨まないとJ1で通用する力はつかない。目標をどこに置くかで、練習の方法や気持ちも変わってくる。J2の試合に出て満足しているなら、ずっとこのままですよ」と言っていました。J2で戦っていて物足りなさを感じるようになっていましたか?
練習でも試合でも、抑えられない選手はほとんどいないという感じでした。昨年のFC東京はすごくやりがいがあったのですが、今年はそういうチームがなかった。やりがいがあったのはダヴィ(甲府)ぐらいでしたかね。そういう意味で早くJ1で戦ってみたいという気持ちは強くなっていました。J1のすごい選手たちと戦えるのは楽しみです。


【写真 米村優子】

J1で水戸と戦えるのを楽しみにしている

――塩谷選手にとって水戸はどのような存在ですか?
これからどこに行っても応援するでしょうね。すごくお世話になったチームだし、できるならまた水戸に戻ってきたい。その頃には選手はガラッと変わっているでしょうね。知っている選手は(本間)幸司さんぐらいになっていると思います。

――幸司さんはいるんだ(笑)!
あと10年ぐらいやるでしょう、あの人は。

―今後、水戸が成長して塩谷選手を迎え入れられるようなクラブにならないとダメですね。
もしオファーをいただいたら、喜んで来ますよ。

――水戸に来てよかったと思うことは?
ハングリーになれました。試合に出続けられたことがよかったですね。プロは試合に出てナンボの世界。そこで選手は評価をされるわけですから。あと、水戸はどこのお店に行っても、食事がおいしかった! どこに行ってもよくしてくれるし、居心地がとてもよかったです。

――水戸はサポーターとの距離が近いクラブ。応援する人の声を近くで聞けたことも力になったのでは?
間違いないですね。もっと頑張らないといけないといつも思うことができました。

――今後の抱負は?
1日でも早くJ1デビューをしたいです。まずは試合に出て、J1の空気を味わいたい。雰囲気も違うだろうし、スピードも違うと思う。プレシーズンマッチで鹿島とは戦いましたが、公式戦はまた違うと思う。早く体験したいです。

――J1はプレッシャーもかなりかかってくるので、メンタル面も大事になってきます。塩谷選手は大丈夫ですよね?
どうですかね。ちょっとビビってるんですよ、友達できるかどうかで(笑)。まったく知っている選手がいないんですよ。本当にゼロからのスタート。シーズン途中からの加入なので、すごく難しいと思うんですよね。メンバーも固定されているだろうし、そこに割って入るのはすごく大変なことだと思う。でも、大変だからこそ、やりがいがあると思っています。シーズン途中で水戸を出ていくのだから、中途半端なプレーをしたら、水戸のサポーターに申し訳ない。負けないですよ。

――先には代表という大きな目標もあります。
まずは試合に出ることですね。一歩ずつ考えたいです。

――最後にサポーターにメッセージをお願いします。
1年半、応援していただき、ありがとうございました。チームがJ1を目指しているときに途中でチームを抜けるということに対して、すごく悩みました。これまでいろんな方から温かい言葉をかけてもらって、本当にうれしかったです。時間をかけて考えましたが、自分がさらにレベルアップするためには必要なことだと思って、移籍を決断しました。いつかJ1のピッチで水戸と戦えるのを楽しみにしています!


【写真 米村優子】

※インタビューは8月3日に行われたものです。
※サンフレッチェ広島の許可を得て、公開させていただきました。

(取材・構成 佐藤拓也)

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