中野吉之伴フッスバルラボ

優れた指導者の定義について掘り下げて考えてみた。「好奇心」「人間性」「専門性」「コミニュケーション」がキーワード

今日はコラムのアップ予定日ですが、なんと昨日から電気が止まっています。停電です。いろいろと問い合わせてわかったところは、昨年12月に引っ越してきたのですが、その際に前の住居人と電気会社とのやりとりがうまく終わっておらず、私ら家族との契約に切り替わっていないとのこと。で、何度も前の住居人に警告を出したけど反応がないために、一時的に電気を止めているそうです。それ、完全にとばっちり。。。ドイツの会社は仕事が遅いからとこちらからあんまり突っ突かずにいたのが災いとなったということでしょうか。そんなわけで現在パソコン諸々家電が使えません。かろうじて地下物置場の電気は生きているので、スマホの充電や湯沸かし器を持っておりてお湯を作ってくらいはできています。なんとか早期に対応してもらいたいところですが、こればっかりは祈るしかない。

そんな事情のために今回は昔ブログにアップしたコラムをご紹介させていただこうと思います。

▼優れた指導者の定義って?

ある日、ツイートでこんなことをつぶやきました。

「あ、あとA級ライセンス講習会で仲良くしてた同期がドルトムントセカンドチームの監督に就任したので練習見学に行く予定。 指導者としての才能は当時からすごかったし、いずれブンデスリーガまで行くのだろうか。資質がある指導者がしっかりと評価される環境はどうやったら作り上げられるのだろう。」

「指導者を公募して集まった人の中から選ぶのか、縁つながりで自分たちの輪を重視するのか、自分たちに必要な人材を求めて主体的なアプローチで探しに行くのか。 ヨーロッパだと指導者へのスカウティングネットワークも相当築かれている。「優れた指導者の定義」がしっかりしてるからできることかな。」

するとフォロワーの方から『「優れた指導者の定義」とはなんでしょうか?』という質問を受けましたが、限られた文字数で答えるのは難しいので、こちらでお答えしたいと思います。

僕なりの第一条件はこうです。

「好奇心旺盛な指導者」

あらゆることに好奇心をもって指導に取り組めているかどうかは指導者の大前提としてすごく大事なことだと思います。

でどんな要素を持った指導者が優れているのか。

「選手が自分の足と頭で主体的に向き合っていくように導ける人間性を持っていて、ピッチ内にもピッチ外にも様々な可能性(ポジティブ、ネガティブともに)があることを知っていて、それぞれの可能性がどんなものかという詳細な知識を持っていて、何をいつどのように伝えるかの知恵を身に着けている人物」

これだとちょっとわかりずらいと思うのでさらに説明していきたいと思います。

【指導者に求められるもの】

いきなりサッカーとは少し話が離れますが、映画「マトリックス」の劇中で主人公がこんな言葉を言われるシーンがあります。

“Ich kann nur die Tür zeigen. Durchgehen muss du allein.”

何でドイツ語かっていうと、ドイツ語で見たからですね。だからかドイツ語の方がとてもしっくりくるんです。日本語に訳すと「どこにドアがあるかを指し示すことはできる。だがそこを通り抜けるのは君一人でだ」となります。

これがまず指導者に求められていることではないかなと思うのです。

世の中には様々な「ドア」があります。サッカーの世界でもそうです。プロ選手になるだけが唯一無地の道ではありません。仕事をしながらサッカーと生きていく道もたくさんあるわけです。自分のレベルと環境にあった形で生涯通してサッカーと携わっていくという可能性を知らない指導者の下だと、プロになるか否かという極論だけになりかねず、追い込むだけ追い込んで高校年代で引退というパターンが減ることはありません。

海外でプレーをする、海外のどこで、どのようにプレーをするという選択肢もあるわけですね。あるいは選手としてだけを考えるのではなく、現役引退後のことも念頭に置いて育成年代、あるいは海外留学中に自分に投資をすることの大切さを伝えられるかも重要です。投資をするとは資格を取る、語学を学ぶ、スポーツ学と向き合う、指導者を志すなど、自分の今と将来に必ずプラスになる、さまざまな時間とお金の使い方を意味します。

欧州のプロサッカークラブでサッカーだけをやらせるところはないはずです。ブンデスリーガクラブであれば、大学入学資格となるアビトゥーアをギムナジウム(日本でいう中高一貫進学校)でとることの大切さを常に選手に訴えてますし、それ以外でも職業資格を取らせるなど、サッカー選手としてだけではなく、一人の人間として社会で生きていくための礎作りを重要視しています。

指導者はどこにどんな「ドア」があり、そこを通り抜けるとどんな世界があり、そこを通り抜けるにはどんなことをしなければならないのかの詳細な知識がなければなりません。

それがあったうえでそのドアの前まで選手を導く。でもそのドアをくぐるかどうか、潜り抜けられるかどうかはその選手次第。

大人の中に「子供のために」と思いこみ、ご丁寧にドアの前まで手をつないでいき、ドアを開けてあげ、ドアの中に道を作ってあげ、ゴールまで何も起こらないようにしておこうとする人もいます。でもそれは社会科見学以上のものにはならないわけです、体験もしていないわけですから。

【ピッチ上だと?】

ではピッチ上で起こる現象についてはどうでしょうか。

例えば「子どもの自主性を重んじる」という考え方がありますよね。で子供たちのやりたいようにだけやらせると。自主的な取り組みは大事ですし、子どもだけの時間も必要です。

ただ、「このレベルの子どもたちが、この人数、この広さ、このルール下でゲームをしたら、おそらくこんな現象が起こるだろう」ということが分かったうえで見守っているのと、何のイメージもないままただゲームをやらせるのとでは雲泥の差が生まれます。

前者の場合は、そこで生じうるミスを選手に認知してもらうためにあえて「何も言わない」という選択肢の一つを持っているということになります。だから、「なかなかうまくいかない時にタイミングよくストップをかけて、生じたミスについて指摘する。解決策の一つを提示する。そしてまたプレーに戻す」ということができますが、後者の場合は何も起きないまま終わることが多いです。

例えば子供のころから戦術指導は必要か、という論争がありますが、そもそも戦術ってなんだ、とか、戦術を浸透させるために年代別にどのようなアプローチが必要か、という知識がないと、この議論をする意味がありません。僕の考えでは、間違いなく戦術を伝えることはサッカーを始めたその時から必要ですし、幼稚園児でも簡単で原則的な戦術はちゃんと理解することができます。「小学生には難しい」とか「枠に閉じ込める」といいますが、子どもの遊びには、必ず戦術に相当するものがあるはずです。子どもたちはどうすればその遊びに勝てるのかを模索してやります。鬼ごっこにだって、「誰かの近くで一緒に動きながら、鬼が的を絞り切れないように逃げる」みたいに彼らなりの「戦術」があるわけですから。

逆に言うと、「戦術がその選手の行動を狭めて枠に閉じ込める」という状態になっていたとしたら、身に着けたそれは戦術ではないはずです。それはただの強制ですから。戦術は選択肢を狭めるものではなく、選択肢を明確化するための判断材料です。

だから育成指導者は戦術に関するすべてを網羅しなければなりません。そうでないと全体図からシンプルなところへの落とし込みができないからです。

フットボリスタに挙がっているDFB主任指導者育成教官フランク・ボルムートのインタビューにこうあります。

■戦術についてはどうでしょうか? 戦術的な柔軟性は重要なテーマになりますが、ぶれないベースがなければチームは揺れ動いてしまいます。

「指導者は戦術におけるすべてをマスターすべきだ。個人、パートナー、グループ戦術からチーム戦術に至るまですべての分野でだ。マスターするとは、選手のどこに改善すべき点があるかを詳細に分析し、それを本人に伝えられることだ。もちろん戦術がすべてではない。戦術を遂行するための条件は技術だからだ。正確なパス技術がなければ、ベストな攻撃戦術はできないだろう?」

こうした全体のメカニズムがわかれば、どんな要素も一朝一夕にマスターできるようになるわけではないことがわかるはずです。そして「やっていること」、「やろうとしていること」がすぐに身に付くわけではないことを知っている指導者は「わからないこと、できないこと」に目くじらを立てて感情的になることはありません。できるようになるためには様々な段階を経て、時間をかけてしっかりと身に着けていかなければならないものだからです。

ブンデスリーガクラブであっても、新監督が就任して戦術がある程度浸透するためにはどんなに優秀な監督で、どんなに優秀な選手がそろうチームでも半年以上はかかります。納得がいくオートマティズムを手にするまでは数年は必要でしょう。ペップ・グアルディオラ監督のバイエルンも、ユリアン・ナーゲルスマン監督のホッフェンハイムもそうでした。

【人間性はベース】

戦術以外ではどうでしょうか。フィジカルに関する知識、メンタルに関する興味、データ分析への理解、人間関係へのケア。どれも重要です。優れた指導者は様々な要素に気を配れなければなりません。すべての要素に対して専門家並みの力量を持たなければならない、というわけではありません。でも、すべての要素に対してリスペクトをもって接するかどうかは、大きなポイントになるはずです。自分一人でアイディアを出しきる必要もないですし、それよりも周りの意見やアイディアを引き出し、新しいものを生み出すためのコミニュケーション能力も求められるわけですね。

ドイツ代表監督のヨアヒム・レーフ監督は全スタップの声に非常にオープンな態度をとるといいます。分け隔てなく、しっかりと相手の意見を聞きレ、ディスカッションをし、そのうえで最後の決断に関する責任を毅然とした態度で担う。

人間性が何よりのベース。そして人間性とは「人がいい」とか「つねに上機嫌」といった現象面のことではなく、「自分の意見を持っている」「相手へのリスペクトを持っている」「相手の意見に耳を傾けるし、自分の意見を口にする」「取り組むことへ責任感を持っている」といった言動に関わることが大事であり、またミスをしたり、感情的になってしまうというネガティブなことも含まれています。指導者は万能の存在ではない。だからこそ相手のミスにも寛容になるべきだし、自分のミスに謙虚でなければならない。

そのうえで、戦術、トレーニング理論、心理学、教育学、教授学、スポーツ生理学、発達学などあらゆることへの専門知識と好奇心をもち、忍耐強く深い愛情をもって選手や関係者の成長と向き合っていくことが求められるのだと思います。

そしてこれまでの知識のフィードバックとアウトプット、そして先鋭化できるかどうか。これも「好奇心」と関わってくるところです。今までがいいから、これからも大丈夫というわけではない。

ちょっと乱暴にまとめると「好奇心×(人間性+専門知識+相手のアイディアを引き出すコミニュケーション能力)」となるでしょうか。ぼくもまだまだ探求の旅を楽しみながら、続けていきたいと思います。

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