中野吉之伴フッスバルラボ

【ゆきラボ】初の試み、読書会終了。改めて考える「努力」ということ

こんにちは!2月最後のフッスバルラボ無料コラム「ゆきラボ」をお届けします。他の月よりほんの少し短いだけなのに、2月はなんだかとても早く過ぎてしまうような気がします。

相変わらずのロックダウン中(予定では37日まで)で変化の乏しい毎日ですが、それでも気温は確実に上がり、日照時間が長くなると、確実に春は来ているのだと感じさせられます。ヨーロッパでのコロナ禍の始まりから1年が経とうとしています。

昨年の3月頃の写真。今年の桜の便りももうそろそろでしょうか

さて、先週土曜日に行われたフッスバルラボ初の試み、読書会に集まってくださったみなさま、積極的なご参加ありがとうございました。私もサッカーをする子どもの一保護者としての立場から参加させていただいたのですが、事前に読み込んで付箋を貼ったり線を引いたりと、熱心に読み込んで来て下さる方もいらっしゃって、このラボの運営に関わるものとしては本当に嬉しい限りでした。

今日のコラムでは、その読書会で出たテーマから少し考えてみたいと思います。

みなさんは「努力」という言葉を聞くと、どんなイメージが湧きますか?努力して何かを成し遂げたポジティブな記憶がある方はきっとたくさんいらっしゃると思います。頑張ったことが良い結果につながって、それが嬉しくない人はいないでしょう。その経験は大きな自信になりますし、そんな経験を繰り返して人間が成長していくのは間違いない事実だと思います。

また、自分自身の経験ではなく、他の人の努力談というのも心に強く響くものがあります。努力して何かを成し遂げた人は、社会から尊敬や憧れのまなざしで見られます。某少年漫画誌が努力・友情・勝利をモットーとしているのもよく知られた話です。努力して成長する登場人物はやっぱりカッコいいですし、努力が報われる場面では感動しますよね。

一方で、その努力と辛く苦しい思い出が結びついている方もいらっしゃるでしょう。また、努力が必ずしも結果に結びつかなかったという経験、あるいは努力が評価されなかったという経験も、多くの人が味わっているところなのではないかと思います。同じような質や量の努力を重ねていても、人間は一人一人違いますし、努力以外のたくさんの要因によっても結果は左右されるものです。努力、ということに大切な価値を見出す一方で、努力さえすれば結果が出るというものではない、という側面も、私たちはまた事実として受け止めなくてはいけません。

もう一つ、努力はそう簡単に目に見えるものではない、ということも忘れてはいけないことだと思います。チームで同じサッカーのトレーニングをしていても(そもそもそのトレーニングの質や量がその子に合っている、というのが大前提ですが)、すぐに目に見える結果がぱっと出る子、何回か続けるうちに結果が出る子、目には見えづらいけれどその子のペースでゆっくり結果を出していく子、本当に様々です。

目には見えない、ということで言えば、努力している人の内面というものも、きちんとその人と向き合わなくては見えてこないことが多いです。体だけでなく、どのくらい心に負荷をかけて「努力」をしているんだろう?同じトレーニングでも、楽しくて夢中になって、努力を努力とも思わずに続けている子もいれば、機械的にただそれを繰り返しているだけの子も、頭の中で何か全然別のことを考えながら体を動かしている子も、そして中には「努力しなければならない」「できるようにならなくてはいけない」という強いプレッシャーを感じながらやっている子も、もしかしたらいるもしれません。

努力することには価値がある。努力は人を成長させる。そのことは一つの事実として受け止めながら、私たちは、努力には様々な側面があり、個人差もとても大きいのだということを、まずきちんと認識しなければいけないのではないでしょうか。

今、努力というものについて考えるこのコラムの中で、私は何回も「結果」という言葉を使いました。結果なんてどうでもいい、と言ってしまうことはできません。でも、結果が出ない子を「努力が足りない」と叱責する、子ども同士の「努力の量」を単純に比較しようとする、努力から得られる結果にばかり意識が向いてしまう……結果を出すことが判断基準の全てになってしまっている環境は、あまりにも窮屈で、その結果だけでは判断できない子どもの成長の可能性を、大きく狭めてしまっているのではないでしょうか。

常に結果がつきまとう現実の世界の中で、「結果だけが全てではない」と口にすることは、ともすれば、ただのきれいごと、理想論として片づけられてしまいかねないかもしれません。それでも、ここドイツでは、いかに子どもたちが「結果だけが全てではない」環境の中で、サッカーに夢中でいつづけられるかの試行錯誤がずっと続けられています。『ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする』を手に取ってくださった読者のみなさん、このフッスバルラボの読者のみなさんと、そのために何ができるのかを、これからも考え続けていきたいと思っています。

今週もお読みくださりありがとうございました!次回のゆきラボもよろしくお願い致します。

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