長崎サッカーマガジン「ViSta」

【コラム】田上渉と大久保嘉人~長崎創設期の22番と磐田の22番~

V・ファーレン長崎の強化部スタッフである田上渉とジュビロ磐田の大久保嘉人。同じ年に同じ街に生まれた2人は、同じようにサッカーを始め、共に国見中学へ進むために長崎にやってきた。2人は着実に成長し、国見高校三年時には、田上はキャプテンとして、大久保はエースとして高校三冠(高総体・国体・選手権)を達成する。

運営を担当していた頃の田上渉。2015年撮影。

高校卒業後、Jリーグへ進んだ大久保の活躍は誰もが知るところだろう。これに対して、田上はキャリアの大半を長崎へと捧げ続けてきた。恩師の母校であった大阪商業大学へ進み、同大でも主将として関西大学リーグ1部昇格を達成すると、大学を卒業直前には、県リーグから地域リーグへの昇格を賭けた「九州各県リーグ決勝大会」へ挑むV・ファーレンの前身「有明SC」に助っ人として加入。そのまま上位リーグチームからの勧誘や、Jクラブからの練習参加の打診を断り、V・ファーレン発足に伴ってチームに加入し、活躍し続けた田上をサポーターは「長崎の心臓」と呼んだ。田上が止まればチームが止まる・・。そう言われるほどの存在だった。

2006年V・ファーレン長崎の九州リーグ優勝セレモニー。左から佐野裕哉(現J.FC MIYAZAKI所属)、久留貴昭(現創成館高校サッカー部監督))、田上渉(同年に九州リーグMVPを獲得)、原田武男(現トップチームコーチ)

田上は、2009シーズン終了後に一度チームを退団するものの、2013年にスタッフとして長崎へ復帰。以後は営業・広報・運営を務めた上で、昨年からは強化部のスタッフとなった。その仕事ぶりは選手たちの多くが「あの人が一番(僕らのために)働いてくれている」「もしあの人がいなくなったら、チームが回らなくなる」と評していることからも、充分に伝わるだろう。

強化部スタッフとして、チームを最も近い位置で見守る

田上と大久保。高校卒業後の道はそれぞれ違っても、2人の間柄は変わらない。田上が長崎でプレーしていた頃、オフで長崎に戻っていた大久保がV・ファーレンの練習に顔を見せたこともあるし、今もプライベートでやりとりすることは多いという。2人は未だに昔のままの関係なのだ。

V・ファーレンが創設された頃、「いつかは大久保嘉人がプレーするようなクラブに・・」と誰もが思った。だがV・ファーレンと大久保は対戦することがないまま14年が過ぎた。そして今回、対戦相手としてだが、ようやく大久保は長崎へと戻ってきた、プロとして初めてとなる長崎での試合を戦うために。その背中の番号は22番。それは田上がV・ファーレン創設のときから退団するまでつけていた背番号でもある。

まだ幼い2人が共にボールを蹴っていた頃、2人はこんな日が来ることを想像しただろうか。サッカーは少年を大人にし、大人を紳士にするスポーツだという。だが、試合当日の一瞬だけ、2人が少年に戻ることがあるのかもしれない。その瞬間だけは取材をせずにいよう。きっと、誰にも邪魔されたくないだろうから。

reported by 藤原裕久

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