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【アカデミーレポート】V・ファーレン長崎U-18 10年目での到達点へ。プリンスリーグ初制覇に挑む原田監督の軌跡

V・ファーレン長崎U-18が発足したのは2012年である。今でこそV・V長崎U-18は押しも押されもせぬ県内の強豪となっているが、当時は文字どおりの吹けば飛ぶような存在だった。

何しろ2012シーズンにU-18を発足させること自体が、当時のクラブにとっては想定外だったのだ。もともとJリーグはJリーグ参入を希望するクラブにはU-12・U-15・U-18の保持を求めていたが、U-12はスクール事業で代用可とし、U-18についてもU-15が発足したばかりのクラブは、U-15の子供らがU-18になる年にU-18を発足する路線があるのなら、それまでの期間はU-18がなくてもOKとする方針を採っていた。

当時のV・V長崎はトップチームも試合前日にゴールもない雑草だらけのハーフコートのピッチで練習するような状態だった

それが2012年に完全に覆る。Jリーグ参入するまでにU-18チームを保持していないとJリーグ入りは認められないことになったのだ。

このあたりの情報収集が甘かったと言われればそれまでだが、クラブは大変なことになってしまった。急いでU-18の選手を集めようとするが、何しろ2012年からスタートするチームなのに2012年から発足へ本格的に動くという状況である。予算ももう決まっている中での発足費用という問題もあるが、何より選手が集まらない。サッカーをやっている子はとうに所属チームが決まっているのだから当然だ。

実際、急きょ開催されたセレクションに応募した選手はわずか1名。AKB48の初ライブは観客が7人で、その7人は今では神7(セブン)と呼ばれているが、それどころではない。神の子ワン状態である。

画像は2013年。2013年当時のU-18はこれでほぼ全選手。U-15から昇格した手の高校1年生だけのチームだった

結果、県内高校サッカー部の1年生を登録させてもらうことで5月から活動を開始する。これができなければ、V・ファーレン長崎は2013シーズンからJに参入できなかったし、そうなれば、当時かなりの赤字を抱えていたチームは、この年限りで倒産していた可能性が高い。何とも恐ろしい話だし、事情を知っていたこちらはヒヤヒヤしながら暮らしていたものだ。

そんなU-18の初代監督に就任したのが原田武男監督だった。初代監督と言えば聞こえは良いが、昼は社員として働き、夜に一人で指導をする日々である。それでも当時の私は、ピッチで原田武男を見るのが嬉しくて、練習後には一人で作っていたスタジアムフリーペーパーに掲載するため、「どんなサッカーを目指したいですか?」と聞いたりしていた。原田監督が「もちろんやりたいサッカーはありますけど、いる選手で何ができるかも考えなきゃですよね」と語っていたのが懐かしい。

2014年当時のU-18のレギュラーたち。彼らはまだ高校2年生だった

翌年、U-15から選手が昇格してきてことで、U-18はようやく試合が戦えるようになった。ここから数年、U-18の快進撃が始まる。何しろ2年後の2015年にはいきなり日本クラブユース本大会に出場してベスト16へと進出してしまうのだ。次の本大会出場は2019年まで待たなければならないし、ベスト16はいまだにクラブ史上最高成績タイ記録である。いかに快挙かわかるだろう。

2015年はそのまま県2部リーグを全勝優勝。翌年の2016年にも県1部を全勝優勝し、さらにプリンス参入戦も勝ち、抜き翌年からのプリンスリーグ参入を達成する。原田監督自身も2014年にはJリーグU-14選抜を率いて世界最大規模の国際大会「ゴシアカップ」で日本のチームとして初となる優勝を飾り、帰国時は空港で当時のチェアマンに出迎えを受ける活躍を見せた。

しかし、そこで原田監督のU-18での軌跡は一度途切れる。

2016年12月24日のプリンスリーグ九州参入を決定。これが原田監督が一度クラブを離れる前の最後の試合となった

2017年、当時のクラブ運営のあおりを受けたこともあって、クラブを離れてギラヴァンツ北九州監督となった原田監督だったがこちらは1年で契約を満了。当時の強化スタッフの尽力で2018年にV・ファ―レン長崎にトップチームコーチとして復帰するが、2019シーズン後にコーチとしては契約満了となってしまう。このとき偶然にもアカデミーコーチが一人辞めたことで、そこでアカデミーのヘッドコーチとなり、そして2021シーズンに急きょ村上佑介監督がトップチームのコーチとなったために、5年ぶりのU-18監督復帰を果たすことになった。

そうして今年、原田監督とU-18は、プリンスリーグで過去成績を大きく上回る結果を叩き出し、プレミアリーグ参入戦進出を決定、今週末のリーグ最終節で初のプリンス優勝に挑むこととなった。

「ファーストー!」、「伝えろー」、「方向付けはどっちだー!」
プリンスリーグ最終節を控えたトレーニング場では、原田監督の声がよく響いていた。トレーニングをアシストする斎藤直幸コーチは、初期のアカデミーをともに支えたスタッフだ。徳永登大コーチとともに呼吸を合わせてU-18の選手を指導する。その向こうでは飛石孝行GKコーチの声がする。「ゴール前は戦いだぞー」。飛石コーチは海星高校時代に県内の同世代では屈指のGKと言われた選手である。指導にも熱がこもっている。やはりみんなプリンス優勝を意識しているのだろう。

原田監督は緻密に理論を組み立てて、しっかりとプレゼンのできる・・いわゆる今どきの監督ではない。どちらかと言えば言葉や行動で方向性を示していく指導者だ。そういう意味では語る言葉を文章にしてしまうと、それほど強く響かないこともある。だから、原田監督の良さやすごさは現場を見続けなければ伝わらない。

しかし何度か見ていれば、勝負に対する強いこだわり、普段から示す方向性、実戦の中で練り上げられた方法論や勝負論は恐ろしく鋭いことがわかる。プロとしての一級品のキャリアと、いまだにボールを蹴らせればモノの違いを感じさせる技術もあって、説得力が圧倒的なのだ。

「北九州で失敗した」と言う人もいるようだし、北九州時代の監督としての手腕への評価も人それぞれだろう。そこにあれこれ言う気はない。ただ、他クラブのことなので詳しくは書かないが、私が知る限り、当時の北九州の状態はとてもJ3で上位を戦える状態ではなかったし、何より原田監督のV・ファーレン長崎U-18での実績を見れば十分だろう。

2012年は公式戦がなかったから省くとして、2013~2016年の4年間で県リーグ全カテゴリー制覇とプリンス参入、全日本ユースクラブ最高成績タイという結果を出し、今年1年でプレミア参入戦進出を決定し、週末には優勝を取りにいこうというのだ。ちなみに現在トップでプレーする江川湧清が進路に悩んでいたときに獲得を進めたのも原田監督だし、サイドで起用されることもあった彼を、CBとして固定していったのも原田監督である。

「こないだ、ナオ(斎藤直幸コーチ)と話していたんですけど、2012年の発足からちょうど10年目の今年にプリンスを優勝できて、プレミアまで行けたら最高だなって」

プリンスリーグ残り1試合の段階で、リーグ首位に立つV・ファーレン長崎U-18

先週のプリンスリーグ終了後、原田監督はそう言った。10年のV・ファーレン長崎U-18の歴史において2012~2016年、そして今年と計6年も監督をつとめ、ヘッドコーチだった昨年も入れれば7年も関わっているのだ。現役時代にクラブを創設から支え、『ミスター V・ファーレン』の称号を持つレジェンドは、アカデミーにおいても『ミスター V・ファーレン長崎U-18』と呼べるレジェンドなのである。

「週末、頼みますよ」
リーグ最終節を3日前に控えた練習場で、そう声をかけるとレジェンドはニヤリと笑ってうなずき、拳をあげて応えた。そのあとアップをしている選手たちの横で、選手らの水筒を自ら整理している。監督だからとふんぞり返ったりはしない。「こういうところなんだろうよなぁ、すごいのは」と思わずにはいられなかった。

発足10年目で到達したV・ファーレン長崎U-18の到達点。週末の快挙達成を心の底から願わずにはいられない。

reported by 藤原裕久

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