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【広島サッカーの歴史を辿る旅】序章/歴史とは未来を創る礎

 人生も長くやっていると、様々な衝撃的な事実・現実に遭遇することがある。最近でいえば、荒木隼人が髪の毛を明るくしたことだ。荒木の個性を考えると、ずっと黒髪でパーマも当てないように思っていたが、まさかの金髪……。もちろん、ヘアスタイルなどは個人の自由であり、どうこう言うつもりはない。ただ、古い人間がちょっとだけショックを受けただけである。

それよりももっと衝撃的だったのは、仙田信吾社長の一言だ。
「サンフレッチェ広島の前身がマツダサッカー部であったことを知らない人が増えている」
僕たちのようにJ創設期から知っている者にとっては、全くもって信じがたい事実だ。確かに考えてみれば、Jも創設して間もなく30年を迎える。森島司や松本泰志、大迫敬介、そして松本大弥や東俊希らの世代にとっては、生まれた時からJリーグは存在している。彼らにとっては、読売クラブよりも東京ヴェルディ、日産自動車サッカー部ではなく横浜F・マリノス、そしてマツダサッカー部というよりもサンフレッチェ広島なのだろう。
ただ、どんなジャンルであったとしても、歴史を知るということは極めて重要だ。歴史の重要性を語り始めると際限がないので、サッカーのフォーメーションに限定して話を進めたい。

2000年代からサッカーのフォーメーションの世界で主役を張り続けているのは、4-2-3-1と呼ばれる形である。それは、4バック+ダブルボランチでベースをつくり、2列目に3人、そして1トップという構成だ。簡単に図にしてみるとこうなる。

日本代表でも今や主流の形で、ハリルホジッチも西野朗も森保一も、全てこの形を採用している。では、新しいのかと言われると、そうでもない。

4-2-3-1が主流になる前のスタンダードは4-4-2ではあったが、それは1980年代のブラジル代表がジーコ・ソクラテス・ファルカン・トニーニョセレーゾという「黄金の4人」のMF陣を活かす形として採用されたことで広まった。この4-4-2の衝撃的なところは前線のサイドに張り付かせるように配置された「ウイング」というポジションがなくなったこと。1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本代表で、日本サッカー史上最高のストライカー・釜本邦茂とコンビを組んだ杉山隆一のボジションがまさにレフト・ウイング。タッチライン際でドリブルを敢行し、相手を抜き去ってビッグチャンスをつくるこのポジションは、ブラジルの「天使」と呼ばれた伝説のウインガー=ガリンシャ(彼は右サイド)をはじめ、伝説的な名選手を数多く輩出した。しかし、ブラジル型4-4-2の採用により、ウイングはかたくなに3トップを主張していたオランダ以外では消滅してしまう。

だが2000年代に入る前あたりから、ウイングが復権してきた。例えばクリスティアーノ・ロナウドやリオネル・メッシがウインガーとして台頭したという事実が、歴史の移行を象徴している。ジーコやプラティニ、ジダンといった名パッサー・トップ下の時代から、個人で局面を打開するドリブラーが重用される時代になってきた。

華麗なパスワークで相手を翻弄して守備を崩すことは、1990年代に入ると容易ではなくなった。ハードワークが求められ、運動量とフィジカルの時代に移行してきた。ただ、考えてみれば、サッカーの草創期はまさに身体をぶつけあい、肉体でボールを奪い合い、走りに走ってボールをゴールに持ち込むスポーツだったのだ。

※続きはぜひサンフレッチェ広島公式スマホサイトで。

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