都並敏史、11年ぶりの監督復帰。その先に見据えるJへの旅路(J論)

「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【無料記事】【新東京書簡】第四十九信『1985年生まれの梶山陽平が去り、1995年生まれの矢島輝一が立つ、2018年のFC東京』後藤(18.11.14)

新東京書簡

第四十九信 1985年生まれの梶山陽平が去り、1995年生まれの矢島輝一が立つ、2018年のFC東京

■ヨーイチとキイチ

「1年から試合に出ていたのは自分と、三島と陽一朗で――」
身長186cmの巨躯を誇る矢島輝一の眼が、見るみるうちに4年前の彼方へと飛んでいく。骨の髄まで青赤の彼にも、東京ヴェルディユースから中央大学にやってきた山口陽一朗の印象は鮮烈だったみたいだよ、海江田さん。

ちなみに三島というのは、現在FC岐阜でプレーする三島頌平のこと。大学2年のときに10番を背負っていた選手なんだ。大卒ルーキーながら、今シーズンのJ2では25試合に出場、第37節には14試合ぶりの勝利に貢献する貴重なアシストをマークしている。いわきFCの早坂翔もそうだし、ヴェルディだけでなく中央大学としても95年組は豊作だったんだろうね。

世代の前後を見ると、1学年上にはV・ファーレン長崎の翁長聖とヴィッセル神戸の古橋亨梧――ともに1995年の早生まれ――がいて、1学年下には特別指定選手たち、ヴェルディ内定の安在達弥とFC東京内定の渡辺剛がいる。各ポジションにいい選手が多く、層が厚い。それだけを考えると、競争が激しくて試合に出られなくなったんだと思うけど、ヴェルディ出身の逸材が出場機会を減らしていったわけは、そう単純ではないみたいだ。

「チーム内で『巧いの誰?』と訊ねたら、誰もがヨーイチの名前を挙げると思います。仲間の信頼は厚かった」

矢島がこう言うとおり、チームメイトにも、山口が持つ技術の高さやセンスのよさはわかっていた。でも、それだけでは試合には出られない。
海江田さんが書いていたこととも関係するけど、大学サッカーでは気持ちを出して戦う選手が評価される。そうした環境で、淡々とプレーする山口は埋没していった。

クサビを受けるタイプの前線である矢島は「自分が出場してパスを引き出すことができていれば、状況はちがっていたかもしれない」とも言っていた。

「自分たちの代でこういうサッカーができただろうというイメージはあったんですよ。須藤岳晟という小ぶりなセンターバックがつなぎ、それを陽一朗や三島が引き出し、自分に当てたところに、早坂翔辺りが絡んできて」

でも矢島が負傷で離脱し、山口も出られず、それは実現しなかった。逆転が難しい状態で沈思黙考する機会も増えたはずだ。山口、もう山口さんかな、彼は以来考えを深めて、外からクラブのために何かをしようという境地にたどり着いたんだろうね。

人生、どこかで決断しないといけない時機が来る。

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