宇都宮徹壱ウェブマガジン

【無料公開】ロシアのウクライナ侵攻は不可避の段階なのか? 旧ソ連ウオッチャーが「サッカー」から読み解く

ロシア軍がウクライナ侵攻を開始する前日の2月22日、一般社団法人ロシアNIS貿易会・ロシアNIS経済研究所で所長を務める、服部倫卓さんへのインタビューコラムを掲載した。服部さんは40年近いキャリアを持つ旧ソ連ウオッチャーであり、熱烈な清水エスパルスのファンという顔も持つ。当WMでも「どこよりも早い!2018ロシアガイド」という連載を担当していただいた。
本稿は「サッカー」という切り口から、今回の危機に至った背景、そしてロシアとウクライナの現状と今後について、服部さんの言葉を紡ぎながらお伝えしている。危惧していた事態が現実のものとなったことを受けて、このインタビューコラムを【無料公開】とすることとした(情報はあくまでも掲載時のものであることをご留意いただきたい)。服部さんには3月3日21時、こちらのスペースにてコラムの続きについてお話を伺う予定である。
なおTOPの写真は、2004年にキエフ郊外のオボロニで撮影されたもの。アンドリー・シェフチェンコが幼少期を過ごした街で、彼が暮らしていた団地やサッカーに興じていたグラウンド、さらには「第216学校」を訪れて最初の担任教師にも話を聞いている。今から18年も昔の話なので、写真の子供たちも成長し、お父さんやお母さんになっていることだろう。現地から刻一刻と伝えられる辛いニュースに接するたびに、彼ら彼女らが向き合っている厳しい現実を思わずにはいられない。

 今年はワールドカップイヤーですが、前回のロシア大会が開幕したのが2018年の6月14日。モスクワのルジニキ・スタジアムでは、ロシア対サウジアラビアの開幕戦が行われましたが、実はロシアにとって別の意味で重要な日だったんです。というのもプーチン政権は、まさにこの日に年金受給年齢を10年かけて5歳、引き上げることを決定したんです(男性60歳から65歳、女性55歳から60歳)。

 日本人は消費税の税率に敏感ですが、ロシア人は「何歳で年金がもらえるか」ということに、ものすごくセンシティブなんですよ。なるべく早くにリタイアしたいですから(笑)。その重要な決定が、ワールドカップ開幕という祝賀ムードのどさくさに紛れて実施されたわけですね。当然、開催都市ではデモは禁止。それ以外では大規模デモはあったようで、それによってプーチン政権の支持率は20%も下落しました。

 ロシアという国で、政権の支持率がこれだけ上下するのは非常に稀です。実はそれ以前に、プーチン政権の支持率が20%も爆上がりしたことがありました。それが何によってもたらされたかというと、2014年3月のロシアによるクリミア併合。あの時の圧倒的な国民の支持が、4年後に一気に剥落してしまった。実はロシアの政治と経済が新たな局面に入ったのは、まさにワールドカップ開幕の日だったんですね。

 ここで、ロシア大会の「その後」についてもお話しましょう。この大会では12会場のうち10会場が新築でした。そのうち最も成功したのが「ロストフの14秒」で有名になったロストフ・アリーナ。橋本拳人選手が所属する、FCロストフのホームグラウンドですが、大会後の201819シーズンには平均で3万人以上のお客さんが入りました。これはゼニト・サンクトペテルブルクについで2番目ですね。

 逆にうまくいかなかったのが、日本が初戦でコロンビアを破ったサランスク。地元のFCモルドヴィア・サランスクが、プレミアリーグから落ちてしまって「使用料が高すぎる」ということで、試合開催を拒否したんですね。代わって、ここをホームとしたのがFCタンボフ。2019年にプレミアリーグに昇格したので、それに見合うスタジアムが必要となったんです。もっとも400キロも離れていますので、東京のクラブが大阪で試合をするようなものですよ(笑)。その後、このクラブは破産しました。

 いかにもロシア的な話でいうと、ソチのスタジアム。冬季五輪用の施設をサッカー用に改修したんですが、ソチにはプロサッカークラブがなかったんです。それで、ディナモ・サンクトペテルブルクという2部のクラブを無理やり移転させて、PFCソチにしてしまったんです。藤枝ブルックスが福岡に移転するようなものですね(笑)。このPFCソチ、2部で優勝してプレミアに昇格し、今はCLも狙える順位につけています。ちなみにPFCソチのオーナーは、プーチンのお友だちなので「お察し」ですよね。

 そんなロシアとウクライナの関係ですが、サッカーという視点で見るとUEFAの配慮によって巧みに対戦が回避されてきました。代表でもクラブでも、グループリーグでかち合わないようにしている。今回のワールドカップ予選のプレーオフも、両国は別のグループに組み込まれました。ところが最近、アムステルダムで行われたUEFAフットサル選手権で、ロシアとウクライナが激突することになったんです。

 実は両国ともフットサルが強くて、世界ランキングでロシアは5位、ウクライナは12位。試合そのものは荒れることなく、32でロシアが勝利しました。ただしウクライナのサポーターが、かなり民族対立を煽るチャントを歌っていて、ロシア側がUEFAに調査を依頼したそうです。このフットサルでの対戦については「サッカーでも可能ではないか」という意見と「まだまだ時期尚早」という意見があるようです。

 現在のロシアとウクライナのサッカー界ですが、ちょうど今はウィンターブレイク中で、スペインやトルコで合宿をしているところです。国内リーグが再開されるのは今週末から。ウクライナリーグは、ロシア国境に近い東側のハリコフでも、現時点では予定どおりホームゲームは行われるようです。ロシアリーグはそれほど緊迫していないですが、もしも有事となった場合、心配なのはウクライナ国境に近いロストフですよ。橋本選手の暮らす街が、戦争の前線基地となる可能性もあります。

 最後に「ロシアのウクライナ侵攻は不可避の段階なのか?」という疑問について、2月22日現在の情勢から、私の考えを述べたいと思います。これまで、私を含む多くの専門家は、ドネツクとルガンスクというロシアの息のかかった地域を、あえてウクライナの政治空間内に残し、ウクライナの親欧米路線に歯止めをかけるのが、プーチンの戦略だと考えていました。

 ところが、プーチンがウクライナ2地域の独立を認めてしまったことにより、その見立てが崩れてしまい、今回の紛争の落としどころもまったく見えなくなってしまったわけです。他方、今回のロシアの措置は力による現状変更ではあるものの、この間ずっと不安視されていた軍事侵略には、明確には該当しません。

「ロシアが侵略すれば、断固たる経済制裁で応じる」としていた欧米も、今のところ侵略認定は行っておらず、表明した制裁も限定的なものです。まだ、ロシアと欧米の外交交渉も続いており、紛争を解決する希望が完全に失われたわけではありません。

 成功に終わった2018年のワールドカップ以降、ロシアは国としておかしな方向に進んでしまいました。再びめぐってきたワールドカップの年、ロシアの人々には素晴らしき国際交流の日々をもう一度思い出して、平和の理念に立ち返ってほしいものです。なお前述のとおり、ロシアとウクライナはワールドカップ欧州予選のプレーオフに出場します。試合日は3月24日で、試合会場はロシアがモスクワ、ウクライナがグラスゴー。おそらくこれらの試合は、予定通り行われるのではないでしょうか。

<この稿、了>

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