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結合双生児だったドクさんに独占インタビュー! ベトナム障害者スポーツの現状などについて語る

知られざるサッカーとのかかわり

Q: ところで、以前、日本のニュースを見て知ったのですが、ドクさんは大変なスポーツ愛好家だそうですね。特にサッカーがお好きで、ご自身もプレーなさるとか。いつごろサッカーを始めたのですか?

ドク「1990 年だったでしょうか。治療のため、神戸に住んでいたころ、サッカーを習ったんです。当時は健常者のチームに混じって、松葉杖を使いながらプレーしていました。大阪大学と京都大学の対抗試合に招かれて出場させてもらったのは、日本での一番の思い出です。他にも、水泳やバトミントンを習っていました。」

Q: それは、すごいお話ですね。応援しているクラブや好きな選手がいたら教えてください。

ドク「マンチェスター・ユナイテッドのファンです。選手ならベッカムと元イタリア代表のトッティ。日本の選手で言うと、中田(英寿)が好きでした。」

Q: 双子のお子さんは現在、日系サッカースクールに通っているとのことですが、たくさんあるスクールの中で、どうして日本のスクールを選んだのですか?

ドク「日本の教育や文化が好きですから。子供たちには、スポーツを通して、健康で強い心を持った自立した人間になってほしいと思っています。」

Q: ベトナムサッカーと言えば、今年 1 月のAFCU-23 選手権でベトナムが準優勝しましたが、この大会はご覧になりましたか?

ドク「もちろん!大会の初戦から決勝まで全試合観ましたよ。特に、準々決勝のイラク戦は感動しました。あの試合は、レ・フイン・ドゥック氏(元ベトナム代表で往年の名選手)から頂いた背番号 10 のユニフォームを着て応援したんですが、PK 戦でベトナムが勝利したときは、涙が止まりませんでした。昔、ホーチミン市で行われた両国の試合で、ベトナムはイラクに全く歯が立たなかったのに、ベトナムサッカーもここまで来たのかと感無量でした。」

Q: あの時はベトナム全土が大変な騒ぎでしたね。

ドク「本当に(笑)。ベトナムの選手たちを誇りに思います。」

Q: ベトナムの障害者スポーツの現状については、どのように考えていますか?

ドク「ベトナムでは、障害者に対する偏見も色濃く残っていますし、かなり遅れているというのが本当のところです。障害者は、何もできない人間とみなされており、こうした偏見が障害者の社会進出を阻んでいます。多くの場合は、何か見返りがなければ、障害者を支援しようという動きにはなりません。そういう現状ですから、私はベトナムの障害者スポーツに参加していません。」

Q: 障害者サッカーについて言えば、日本では7 つ(切断障害、脳性まひ、精神障害、知的障害、電動いす、視覚障害、聴覚障害)に分類されて行われています。ベトナムでは、障害者サッカーは行われているのでしょうか?

ドク「残念ながら普及していません。ベトナムにある障害者スポーツは、水泳やボディービルディング、重量挙げぐらいです。この 20 年あまり、心の中で日本の障害者サッカーチームに入ることを夢見てきましたが、まだ実現していません。」

Q: かつて競技者だった立場から見て、ベトナムにおける障害者スポーツの普及にはどんなことが必要だと思いますか?

ドク「これは障害者スポーツの普及だけでなく、障害者の社会進出にも通じることですが、誠実さ、プロフェッショナリティ、そして心の繋がりがあれば、状況は改善していくと信じています。」

プロフィール
グエン・ドク(Nguyễn Đức)1981年2月25日、ベトナム中部コントゥム省で、下半身がつながった結合双生児として生まれた。1 歳のころ、ハノイ市のベトナム・東ドイツ友好病院(ベトドク病院)に移り、そこから兄はベト、弟はドクと名付けられる。1986 年にベトが急性脳症を発症し、東京で手術を受けるも後遺症が残り、1988 年にベトの容体が悪化したことを受け、兄弟の分離手術が決定。17 時間に及ぶ手術は成功し、ドクはその後、職業学校でコンピュータープログラミングを学び、ツーズー病院の事務員となった。ドクは2006 年に慈善活動を通して知り合った女性と結婚。寝たきりの状態が続いていたベトは腎不全と肺炎の併発により2007年に死去した。ドクの妻は翌2009年に双子を出産。双子は日本にちなみ、男児がPhú Sĩ(富士)、女児がAnhĐào(桜)と名付けられた。2017年には、広島国際大学の客員教授に就任している

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