Dio-maga(ディオマガ)

〈Dio-maga〉インタビュー:日髙慶太 パスの職人、縦へのこだわり《前編》(2)

■「恩返しをすることなくチームを去らなければいけないというのが申し訳ないという気持ちでした」
日髙慶太03Q:モンテディオでプレーして4シーズン目ですが、昨年末から今年にかけて、いろいろありましたね。あらためて振り返っていただきたいのですが、まず契約満了のリリースが出たのが12月15日でした。
「(J1昇格)プレーオフ決勝はいつでしたっけ? 12月7日? 12月7日だと、8日か9日には言われていました」

Q:J1昇格が決まってすぐあとですね。告げられた時の心境は?
「悔しい気持ちはもちろんあるし、このチームに自分自身のプレーで貢献したかったということは思いました。でも一番は、サポーターの方たちに、試合に出れないなかでも声かけてもらったり、応援してもらって、その恩返しをすることなくチームを去らなければいけないというのが、すごい申し訳ないという気持ちでした」

Q:自分の心配よりも、周りの人に対する申し訳なさが強かったんですね。それはどうしてでしょう?
「3年間、自分が試合に出れなくても練習場で声をかけてくれたり、デビューした時にはスタジアムで本当に大きな声援をもらいました。そうやって応援してくれた人たちに対して、本当に恩返ししたいという気持ちがあったので、恩返しできないと思ったときに申し訳ないという気持ちになりました」

Q:J1昇格を決めてチームはいい雰囲気の中で、自分はこのチームでプレーできないという状況ですね。
「でも冷静に考えたら、リーグ戦も4分しか出てないし、最後のほうはメンバーに入ってたけど、貢献度で言ったらそういう結論になってもしょうがない位置にいたとは思うので、それは受け止めなきゃなという気持ちはありました」

Q:プロのサッカー選手で、こうした契約満了の経験をしている人はたくさんいると思いますが、ご自分の今後のことは考えましたか?
「『どうなるんだろう?』みたいな、『サッカー続けるのかなあ』とか、『普通の違う仕事に就くのかなあ』とか、『自分って、やっぱりサッカー続けたいのかなあ』とか、そういうのをめちゃめちゃ考える時間にはなりましたけど、心配とかはあまりなかったですかね。人生、これで終わるわけじゃないし、期待とかがあったわけじゃないけど、『これから人生どうなっていくんだろうなあ』という感じでした」

Q:でも、すぐのタイミングでトライアウトも受けましたし、オファーがあればサッカーを続けようという気持ちはあったわけですね。
「次、自分がどういう環境でできるかというのもいろいろ考えて判断しなきゃとは思いましたけど、基本的にはサッカーをやろうと。石﨑さんのお陰で、去年1年で、サッカー選手として自分なりに自信がついた部分もあったので、どういう環境でも、自分でトライして、サッカーして、自分でまた価値を上げたいなと思いました。契約満了を言われた直後はいろいろ考えてましたけど、トライアウトを受けるとなったときには、そういう気持ちでやってました」

Q:そうしたらなんと、モンテディオから再契約の話が来ることになりました。クラブからのリリースは1月6日でしたが、いつ頃連絡がありましたか?
「クリスマス後ぐらいには言われてたんですよ。トライアウトが終わって結構すぐじゃないですか。だから、『これからどんなチームから声がかかったりするのかなあ』ぐらいなタイミングで言われました。さっきも言ったけど、契約満了を言われたときに、このチームで恩返ししたかった気持ちがあったし、もう少しの時間があったらもっと自分もよくなってチームに貢献できるという自信もあったので、その話が来た時には、もしその時点で他のチームからオファーが来ていたとしても、即答で『山形でやりたい』と思ったと思います」

■『もう1回、慶太をこのチームでやらせよう』という判断に対して感謝の気持ちはありました」

Q:もし他からオファーがあっても?
「他のチームからもらったとしてもJ1でやる以上の条件があったとも思えないけど、もし仮にそういう話があったとしても、山形でやりたかったとはずっと思ってたし、石﨑さんだったり、健二さん(高橋、コーチ)のもとでサッカーをやったらもっと自分がよくなるって思ってたから、また監督のもとでサッカーができるんだ、石﨑さんのもとで鍛えていただけるんだと思うと、それに勝るところはないなと思いましたし、山形のサポーターの方に恩返ししたいとも思っていました」

Q;一度、自分を契約更新をしないと決めたチームに対しては、変な感覚はありませんでしたか?
「ほぼないですね。むしろありがたかったです。さっきも言ったけど、自分が結果を出してたら、契約を切られるとかそういうことにはなってなかたわけで、そのクラブの判断は当たり前だけど飲み込まなくちゃいけないものだったと思うし、それでもどういう事情があったのかわからないけど、もう1回獲ろうと思ってくれた、『もう1回、慶太をこのチームでやらせよう』と判断してくれたわけだから、それに対しては純粋に感謝の気持ちはありました」

Q:他の人たちからもそうした言葉はありましたか?
「みんな声をかけてくれたし、決まったときもよろこんでくれました。契約満了だとなったときには一緒に悲しんでくれましたし、そのときは、本当にそれだけでありがたかった。だから感謝してます」

Q:そうしてまた今シーズン、モンテディオでプレーすることになった日髙選手が、このたび、チームが結成したイケメングループ「M-5」のメンバーに選ばれました。正直、「今年はそれどころでは…」といった葛藤はありませんでしたか?
(《後編》へつづく)

(取材・文=佐藤円 写真=嶋守生)

《後編》は4月28日掲載予定です。

日高02日髙慶太 ひだか・けいた
1990年2月19日生まれ、東京都出身
横浜F・マリノスプライマリー、同ジュニアユース、桐蔭学園高校、慶応大学を経て12年モンテディオ山形に加入。桐蔭学園高校時代にU-16日本代表、U-17日本代表候補。13年7月には当時JFL町田ゼルビアへの期限付き移籍を経験。モンテディオに戻った14年は天皇杯3回戦・ソニー仙台戦でついに山形での公式戦デビュー。この試合と同4回戦・鳥栖戦で決勝ゴールをアシストし、その後のJ2第34節・讃岐戦では途中出場でJリーグデビューも果たした。昨シーズン終了後に契約満了となったが、再契約でプロ4シーズン目もモンテディオで迎えている。

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