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【嶋コラム】その幸せを実感しながら

今年もまた3月11日を迎える。あの東日本大震災から6年。一時の間忘れることはあっても、この時期この時だけは確実に当時のことを思い出すことになる。内陸地にある山形は、不幸中の幸いとしてそこまで大きな被害を受けることはなかったが、太平洋沿岸部の甚大な被害が筆舌に尽くしがたかったのは言うまでもない。

当時のことについて何を見て何を感じたかは人それぞれ。今年モンテディオ山形の監督に就任した木山隆之監督は、非公開練習を終えたあとのメディアの囲み取材の時に、当時を振り返りながら震災について話をしてくれた。

震災が起きた3月11日はJリーグ第2節の前日。山形の選手たちはアウェイ新潟戦に臨むべくバスで移動しており、道の駅で休憩中に14時46分を迎えたが、当時清水エスパルスのヘッドコーチだった木山監督は、ホームゲームで前泊する予定のホテルに向かう為に家を出ようとした時に地震が起きたという。

「ガンガンガン、じゃなくて緩やかに大きく揺れた。テレビの映像は目を疑うというか『こんなことが起こるのか』と。被災している方は電気も通ってないだろうから、おそらく遠くにいる人間の方がリアルタイムで映像を見ていたと思う」

兵庫県伊丹市出身の木山監督は、阪神淡路大震災の際もガンバ大阪の選手として大阪に在住しており、震災の辛さを知っていた。
「練習は中止になったし、大変だから実家に帰ろうとしたら、車が立ち往生していて、朝に出たのに着いたのが夕方。神戸に近づけば近づくほど家やマンションが壊れていて、全然大丈夫な地域もあれば、地盤が良くなくてほとんど潰れている地域もあったり」。電話は当然不通。水を運ぶのにも数時間かかったそうだ。

1度は遠くで、1度は近くで震災を見た木山監督。震災についてはすごく考えさせられることがあるという。
 
「ある日突然、何の罪もないのに不幸が襲ってくるわけじゃないですか。極端な話、明日何があっても不思議じゃない。そして大変な思いをしている人は、震災の被災者だけじゃなくて、世界中で食べることにすら苦しんでいる人もいるし、毎日戦争をやっているところもある。でも自分たちはそことはかけ離れた世界で毎日生活出来ていて、ましてやサッカーをやって、自分の好きなことを生業に出来ていることがどれだけ幸せなことか。
選手たちもチームに関わっている人も、その幸せを実感しながら生きるべきだ。だからこそ、日々全力でやり尽くさなきゃなと、こういう時になるといつも思います」

死者は生き返らないし歴史も覆らない。我々にできることは、当時を思い返して偲ぶことと教訓を学び活かすこと。そして今の幸せを噛みしめながら生きることだろう。

明日の練習は移動スケジュールの都合もあって朝8:30スタートと相当早い。時間は限られるが、それでも練習前に黙祷を行う予定だ。

「東北に住んでいる人なら絶対だろうし、神戸にいる時も(阪神淡路大震災が起きた)1月17日には必ずやっていました」

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