「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「マリノスはJクラブ担当記者の花形で、他のメディアもエース級ばかり。そこに二十歳そこそこの若造がいきなり入ってきたわけですから」-マリノス番記者人生はこうして始まった [1000号記念番外編 (1)] (無料)

 

マリノスの番記者歴12年、藤井雅彦のヨコハマ・エクスプレスは2012年9月からスタートし、本号で通算1000号を迎えました。※注

今回はワールドカップ中断期間を利用させていただき、ヨコハマ・エクスプレスの1000号記念の特別号となります。マリノスのニュースをご期待の方には手前味噌で恐縮ではありますが、もしお時間あればご笑覧のほどお願いいたします。(編集部)

※注: 「ヨコハマ・エクスプレス」は試合ごとにプレビュー/レビューと監督/選手コメントを掲載してお届けしていますが、監督/選手コメントはプレビュー/レビューとあわせて1本とカウントしています。(そのため、これまでの記事数をばらしてカウントすると1761本となります)

 

 

 


マリノス番記者人生はこうして始まった [藤井雅彦1000号記念インタビュー(1)]


(聞き手:編集部)

 

-エル・ゴラッソを昨年末にご卒業されたそうで。

2004年に創刊号から関わっていましたので、長かったですね。

 

-マリノスを担当したのは。

いくつかのチームを担当したあと、マリノスを担当するようになったのは2006年の夏からです。

 

-もともと横浜の生まれなんですよね。

実は、生まれは湘南なんです(笑)。横浜には小学校2年生の時に引っ越してきて、地元は本牧です。

 

-サッカーライターになったきっかけは?

もともとサッカーが好きで、それに携わる仕事がしたかったので、マスコミ系の専門学校に入ってから、サッカー業界に足を踏み入れました。在学中から高校サッカーやユース代表の練習に個人のパスで取材に行っていました。名刺も自分で作ったりして。100枚3,000円くらいで。
兵藤慎剛や平山相太、カレン・ロバートといった僕の2歳下が中心世代の取材でした。当時、高校サッカーの決勝戦は成人の日とかぶっているので、僕は成人式に出ていません。 その時に一緒に取材をしていた記者の中に川端さん(暁彦/元エル・ゴラッソ編集長)がいたこともあり、エル・ゴラッソの創刊時のライターとして声をかけてもらいました。エルゴラで最初に記事を書いてお金をもらったのは、たしか天皇杯のベルマーレ対八戸大学。とにかく嬉しくて、記事は今も実家に保管してあります。

 

-エル・ゴラッソで執筆していたけど、最初は専属ではなかったんですよね

2006年のドイツワールドカップはフリーの立場として取材していました。携帯サイトに記事を書いたりしていました。エル・ゴラッソも書いていましたけど、あくまでも個人の立場です。ご存知のとおり、ドイツワールドカップは惨憺たる結果で、僕も燃え尽き症候群みたいになっていました。その時にマリノスの番記者をやらないかという話をいただきました。岡田さんから水沼さんに監督交代する直前のタイミングで、それが僕のマリノス人生の始まりです。

 

-首都圏のビッグクラブの担当になって戸惑いはありませんでしたか?

いやぁ、怖かったですね(笑)。 選手の名前に緊張しましたし、格やオーラが違います。日本代表の取材はしていましたけど、クラブで直に触れ合うのとは違う。松田直樹、奥大介、中澤佑二、久保竜彦と名前を挙げたらキリがありません。
マリノスはJクラブ担当の花形で、他のメディアもエース級ばかりが来ていました。そこに二十歳そこそこの若造がいきなり入ってきたわけですから、考えてみたら恐れ知らずですね。
先輩方にはたくさん揉まれました。怒られたこともありますよ。でも、今振り返ると本当に勉強になったと思います。そうして時間をかけて少しずつ記者として認められていきました。

 

-歴代の監督の印象は?

早野さんは優しかったです。右も左も分かってない若手が書きたいように書いていたけれど、怒られたり咎められたりしたことは一度もないですね。今でも会えば「元気か?」と声をかけてくれます。勝つ時も負ける時もすっきりしていた人ですね。サッカーのスタイル同様に爽快感があった。
桑原さんはいつもニコニコしている人でした。木村(浩吉)さんは記事をしっかり読んでいたようで、内容について言われることもありました。
樋口さんはとにかくいい人。原則的に毎日、練習後に監督の囲み取材を行うのですが、監督のほうから「さぁ、やりましょうか」と言ってくれましたから(笑)。人柄ですね。

 

-選手で一番思い出深いのは?

マツさん(松田直樹)は怖かった。でも、すごく優しい。こちらからするとアメとムチで、どんな時でも話を聞きに行くと緊張する。そういう選手は数少ないんですよね。それが松田直樹。
栗原勇蔵は同い年ということもあって、気さくに話ができてました。その勇蔵が「藤井はサッカーを知っている」みたいな話をマツさんにしてくれたので、マツさんが「おー、藤井」と距離を縮めて接してくれるようになったんです。その後、ウイニングイレブンを一緒にやったのは僕の自慢です。

 

-松田選手のウイイレの実力は?

マツさんは強かったです(笑)。コントローラーさばきも別格でした。何が違うって、シュートやドリブルではなく、守備が違う。ゲームの中なのに、僕がドリブルで仕掛けると、間合いをとって守られて、動きを見られてピッとボールを取られたりするんです。金縛りにあっているような、マツさんのゾーンに引き込まれる感覚は今でも忘れられません。

→つづく

 


創刊1000号に寄せて


 

古川 宏一郎 横浜マリノス株式会社代表取締役社長

「この度は『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』1000号発行、誠におめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。『ザ・ヨコハマ・エクスプレス』のますますのご発展を祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます」

 

松永 成立 GKコーチ

「毎日練習を見に来ているし、的確な視点には頭が下がる。一般的には辛口な批評かもしれないけど、自分たち専門家からすると納得する文章を書いていると思うし、選手も読んでいるはず。引き続き同じ目線でチームのことを書いていってほしい」

 

GK 21 飯倉 大樹

「サッカー選手でもなかった記者がいろいろ書いているなと思っている(笑)。でも取材の対象にしてもらっている幸せはある。これからもチームや選手とサポーターのパイプ役になってくれたらいいんじゃないかな。オフィシャルでは伝えきれない魅力を届けるような記事に期待しています」

 

 

 

ヨコハマ・エクスプレスの創刊は2012年9月23日。樋口靖洋監督の1年目のシーズンです。創刊第一号のタイトルは「マリノスの背番号10はまた一回り成長した」でした。その時の10番は小野裕二選手(現・サガン鳥栖)。懐かしいですね。

 

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ