【無料掲載】緑の風by浦研プラスー細貝萌と青木拓矢

※細貝萌オフィシャルホームページ『Hajime Hosogai OFFCIAL WEB』で連載中の、島崎英純コラム『緑の風』更新中!

開けた未来

葛藤と不安と、決意を繰り返す日々でした。

ヘルタ・ベルリンの細貝萌選手は7月25日にベルリンからシュツットガルトへ移動し、ドイツ・ブンデスリーガ2部のシュツットガルトと完全移籍の契約を交わして無事にチームへと合流しました。今季のブンデスリーガ2部の開幕は8月6日ですから、できるだけ早く新チームに順応しなければなりません。でも、今のハジ(細貝選手の愛称)は覚悟を決めていますし、心晴れやかに新天地での活躍を期しているでしょう。

ヘルタでのプロサッカー人生は栄光と挫折の日々でした。2013シーズンにレヴァークーゼンからベルリンへ完全移籍した当時はヨス・ルフカイ監督の下でレギュラーポジションを獲得し、チームの核として貢献し続けました。しかし20142015シーズンに成績不振でルフカイ監督が解任され、代わりにパル・ダルダイ監督が就任すると状況が一変しました。プロサッカークラブでは当然のことですが、チーム構築の裁量は現場の最高責任者である監督が負います。ダルダイ監督が何故ハジを評価しなかったかは分かりませんが、彼は突然出場機会を閉ざされ、トレーニングマッチでも17歳のユース選手が駆り出される中でグラウンド外周のランニングを命じられました。彼はナイーブな性格なのに、表向きは決して弱音を吐かないため、悩みを全て自分の中に押し留めてしまったのでしょう。その結果、身体中に発疹が起こり、それが足裏にまで及んだことで歩行も困難な状況に陥りました。

彼は以前にも同じような発疹を起こしたことがあります。それは2010年暮れから2011年初頭にかけてのことです。そう、ハジが浦和レッズからドイツ・ブンデスリーガのレヴァークーゼン(当クラブへ移籍直後に、アウクスブルクへレンタル移籍)へ移籍しようと考えていた時です。

2005シーズンに前橋育英高校から浦和へ新卒加入してから、ハジは浦和の一員として尽力し、20052006シーズンの天皇杯、2006シーズンのJリーグ、2007シーズンのAFCアジア・チャンピオンズリーグのタイトルを獲得するチームを支えてきました。しかし当時のハジは若手で、自らが主力としてチームを牽引した自覚はありませんでした。だから2010シーズンを限りにチームを去って海外移籍を模索した時は相当悩みました。実績を積み上げられず、クラブに、チームに成果をもたらさないままここを去れば、浦和レッズサポーターから許してもらえないと覚悟もしていたようです。その心労が、身体の発疹となって表れたのです。

「ほら、見て。掌が真っ赤でしょ。海外移籍を考えてから、ずっとこんな感じなんだ。海外でサッカーをプレーすることは僕の夢。でもレッズで活躍して、僕の力を十二分に還元してチームにタイトルをもたらすことも、僕がこのチームに入ってからの最大の夢だった。ロビー(ロブソン・ポンテ)、ワシ(ワシントン)、(小野)伸二さん、(鈴木)啓太さん、(田中マルクス)闘莉王さん、アレ(三都主アレサンドロ)、(田中)達也さん、ヒラさん(平川忠亮)、ヤマさん(山田暢久)たちは僕にとって偉大で、正直今の僕はJリーグやACLのタイトル獲得に貢献していない。それなのに、チームが過渡期を迎えている時に、僕がチームを離れることは、やっぱりサポーターの方々は許せないよね」

そう言葉を吐き出すと、彼は俯いて涙を流しました。それほどの覚悟を持って海外へ羽ばたいたハジを見てきた者としては、今回の新クラブへの移籍は感慨深いものがあります。

2011年の決意

実は今回、ハジには幾つかのJリーグクラブから獲得のオファーがありました。彼自身相当悩んだそうですが、今、このタイミングで日本へ帰るべきではないと判断したそうです。その理由はいくつかあるらしいのですが、ひとつは「2011年に、あれだけの決意を持って海外へ行ったのに、志半ばで日本に戻るのは、むしろサポーターの恩義に背くのではないか」ということでした。ハジ自身はヨーロッパでの挑戦を諦めていない。まだ十分戦えると信じている。日本を発つ前の彼は、そう考えていたそうです。

実はハジから僕に、ひとつのお願いがありました。

「青木(拓矢)くんは元気? 青木くんは前橋育英高校の後輩で、もちろん面識がある(青木選手は細貝選手の4学年下)。彼とは梅ちゃん(梅崎司)と一緒にご飯を食べに行ったこともあるよ。最近、人づてに、青木くんが思い悩んでいるって聞いたんだ。僕から直接言うと彼も恐縮してしまうかもしれないから、伝えてくれないかな。『僕はいつも、青木くんのプレーを観ているし、いつも応援しているよ』って」

ハジと青木拓矢選手は共にボランチで、同ポジションでチームを支える選手です。皆さん推察してください。これは先輩から後輩へのエールです。

『僕は、今の夢に向かって邁進する。だから君も、チームのために心から尽力してほしい』

7月9日のJリーグ2ndステージ第2節・柏レイソル戦を20で制した後、途中出場した青木選手と話をしました。ハジからの言葉を伝えると、彼は穏やかに微笑んで、「本当ですか! 嬉しいです。頑張ります。はい!」と、最後に力強く返事をしました。

7月23日、カシマスタジアム。青木選手は縦横無尽にピッチを駆け、チームの勝利に大貢献しました。普段の青木選手は全体練習後に必ず武藤雄樹選手とジョギングして、歩みを止めた後もしばらくふたりで談笑する姿が目立ちます。武藤選手にその会話内容を聞くと……

「内緒です(笑)。つまらないことなんですけど、それでもふたりで練習後に話をしていると落ち着くんです。それで確認しあっているのかもしれないですね。『大丈夫、僕らは大丈夫、チームは大丈夫、絶対に大丈夫』って(笑)」

今の浦和は少数精鋭ですが、タイトルを獲得出来るだけの戦力が揃っています。目標に到達するまでには数々の困難に直面するでしょうが、チームの総力を結集すれば実現は十分可能です。

ハジは言います。

「選手にとって最も大事なのは、所属するチームに信頼され、自分の力を求められ、勝利に邁進できる環境であること。選手も人間だから、自分の周辺で様々な事が起こると、それがプレーにも表れてしまう。雑念を捨てて、チームのことを考えられるか。それが一番大事だと痛感しているんだ」

ハジが青木選手のことを気にかけていると、石原直樹選手にも話しました。

「ハジメちゃん、群馬県の同郷の僕にも何かメッセージをちょうだいよ〜(笑)。まあ、でも、それぞれに、それぞれの場所で最大限の努力を尽くす。それがプロサッカー選手の役割ですからね。僕も頑張りますよ〜。ハジメちゃんによろしく」

『群馬県人会』は固い絆で結ばれています(笑)。

また、ハジから連絡がありました。

「レッズ、鹿島に勝ったね。連勝は5で止まったけど調子良いよね。このまま行けるかな? それと、青木くん、良いプレーだったよね」

ベルリンでもがき苦しんだ彼も、今はドイツ南西部の由緒ある工業都市で新たなる挑戦を始める覚悟を決めました。これからも彼は、遠いヨーロッパの地で愛するクラブ、チーム、そして共に戦った仲間のことを気にかけ続けるでしょう。

そして、いつの日か、また…

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