松沢呉一のビバノン・ライフ

顔で乳や陰毛を見抜けるか?—「乳と陰毛」調査 1-[ビバノン循環湯 156] (松沢呉一) -3,982文字-

1997年にSPA!の連載に書いたもの。思っていた以上に面白い展開になって、この続編を別の雑誌でやりました。そちらでさらに興味深い結果が出ています。そちらも続けて出しますが、その前に、「乳と陰毛」についての調査をお読みいただきたい。

雑誌掲載時にはこの調査に使用した乳や陰毛の写真を出していたのですが、広告部からクレームがついたはず。ヘアヌードはOKになっていた時代ですが、アップにしていたため、反対ページのスポンサーへの配慮としてのクレームです。たしかに陰毛はアップにすると汚い。きれいか汚いかは私にとってはどうでもいいのですが、代理店やスポンサーにはわかってもらえないものです。真実の探究よりイメージが大事。これ以外にもよく私の連載は広告部からクレームがつきました。豚のキンタマや狸のキンタマ、巨大サナダムシなどの写真を出していたものですから。

 

 

「顔で性器がわかる」と東陽片岡は断言

 

vivanon_sentence漫画家の東陽片岡と会うと、どうしてもエロ話をしてしまう。他に話すことがないからだ。取材で東陽片岡のうちに行った時も、本題は十五分程度で済ませ、一時間はもっぱらマンコの話をしていた。

東陽片岡も私もマンコにはちょっとうるさい。ただし、うるささの方向がまるで違う。私は感度にうるさく、東陽片岡は形状にうるさい。彼は、ヒダヒダが多く、どちらかというとヒダヒダが黒ずんだマンコが好みで、その周辺に毛が密生しているといよいよ望ましい。起伏が少なくてノッペリとし、毛も薄い子供のような性器には全然魅力を感じないのである。私はどっちでもよし。

お三十路の町(1) (ビッグコミックス) しかも東陽片岡は、顔から性器は想像できると豪語し、「江角マキ子のオマンコは絶対にヒダヒダが少ないですよ」と見てきたかのように断定する。そう言われるそんな気もする。でも、そう言われないと、決してそうは思えないような気もする。本人に確認するのが一番いいが、確認しても教えてくれそうになく、桐島ローランドもやっぱり教えてくれまい(注:この頃にはすでに離婚していたはずだが、結婚してようと離婚してようと教えてくれまい)。困ったことになった。

以前、どこかに詳しくご紹介したが、知人のM女ユキは、見た目や雰囲気でチンコを想像できると断言し、男のすべてはチンコで決まるという「唯チン論」を提唱しており、私の外見や話し方などなどから、我がチンコの形状に肉薄することができた。

これに力を得て「風俗嬢対抗チンコ当てコンテスト」を開催しようと思ったが、そんな予算はない。これをやれば、顔や体格、性格と性器の関係を立証できて、人類が抱える性の問題のかなりの部分は解決するはずなのに、もったいないことである。

 

 

顔と性器は関係があるのか?

 

vivanon_sentenceもし男の顔とチンコに相関関係があるとなれば、当然女も同様のはず。俗説では鼻とチンコ、唇とマンコには関係があると言われ、人相学の世界でも顔の部位と性器の大きさ、形状、機能とは関係があるとされ、人相学の本で、この問題はしばしば論じられている。

中司哲厳著『観相(観相学極秘伝色情相法)』の冒頭にもこうある。

 

色情相性に曰ふ。婦人の顔面が大きく平たいものは、陰部も大きく平たい。顔面が小さく狭いものは陰部も亦小さく狭い(以下延々続く)

 

この本は元版が一九三七年(昭和一二年)に出ており、私が持っているのは、戦後発行の改訂版(奥付がないため、正確な発行年は不明)。一九五七年(昭和三二年)には『金のなる木(観相学極秘伝色情相法)』と題された改定版がさらに出ている。「金のなる木」は内容の危険さ(?)からか、表紙にのみ書かれたカモフラージュ用のタイトルで、本文には何の関係もない。これが恐らく最終版。一九八一年に太平書屋から桜花蓑人著『色情相法極秘伝』が出ているが、これは戦前版の復刻である。

また、西條溪祐著『セックス占い』(一九七九年)では、水野南北なる江戸時代に活躍した観相学の大家を紹介している。この人物は研究のために銭湯の三助を三年やり、火葬場でも三年働いたにもかかわらず、その著書には「鼻の大きいものは性器も大きいとは書いてありません」とのことで、著者は大きさを単純に比較することを否定する。しかし、鼻にせよ唇にせよ、顔の部位と性器にはやはり関係があるとして、この本でも具体例を縷々述べている。

 

 

顔と乳の関係に変更

 

vivanon_sentenceでは、実際に顔と性器は関係があるのか確かめてみようと思ったが、どうやったら、確かめられるんだっけか。

よーく考えると、私ら男としても、マンコを凝視した体験はさほどないものだ。セックスをする時に、明るいところでジーッと観察することはあまりないだろうし、裏ものの本やビデオを除いては、メディアを通して鑑賞することもない。そうすると、東陽片岡以外は当てられないのではないか。私も自信はない。

増補改訂版 笠井資料/日本女性の外性器―統計学的形態論 (日本性科学体系)そこで視点を変え、顔と乳は関係があるのかを確かめることにした。後退した気もするが、こういう実験はまず安易なところから始めた方がいい。乳がわからないのに性器がわかるはずがなく、乳はわかっても性器がわからないことがあるためだ。

乳であれば今までの人生でそれなりにはじっくり見たことがある。セックスするとなれば乳をじっくり見ることになるし、触ったりなめたりしつつ、乳の形を確認する。乳房の形だけなら、水着でも確認してきている。

顔を見ただけで、乳房や乳首を推測してしまうことは確かにある。「この女、一体どんな乳をしているんだろう」と気になって気になってしょうがなく、仕事の打合せが終わってから乳を見せてもらったこともある。見せてもらったところ、思った通りの乳であった(エロ行為をしたかったんじゃなく、本当に乳を見たかっただけであり、事実、乳首を見せてもらっただけでげすよ。見るだけでも十分エロ行為か。でも、無理やりではなく、合意の上だし、一瞬だし。なんだか言い訳がましいな)。

このように、なんとなくだが、乳首や乳輪についても、顔から推測できるような気がしないか、皆さん。裸を見慣れているエロ系の編集者に聞くと、揃って「ある程度わかるよ」という。もちろん、後天的要因(年齢や性体験、出産・育児体験、下着など)によって乳房が垂れたり、乳首が大きくなったり変形したりといった変化はあるのだが、そういった後天的要因は顔にも反映されると考えるなら、両者の関連は一生続くことにもなる。

とやかく言うより調査開始だ。

※本の表紙に見えないが、上の図版は東陽片岡が大好きな笠井寛司著『日本女性の外性器―統計学的形態論』の書影。発売当初は、医療関係者にしか販売されず、入手するのに苦労したが、現在は誰でも購入できるよう。ただし、5万円。もちろん、私も所有している。

 

 

乳に陰毛も加わった

 

vivanon_sentenceこの問題を解決するために、池袋の性感店「メシア」と渋谷のコスプレ風俗店「聖コスプレ学園」に協力してもらって、各店三名、計六名の女の子の顔と乳の写真を撮らせてもらった。

 

 

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