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松沢呉一のビバノン・ライフ

自分が作り出したイメージに縛られる—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 2(松沢呉一) -2,753文字-

2017年01月08日13時51分 カテゴリ:連載ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか?社会問題性差別音楽


ビョークとリリー・アレンの投稿—ビョークが主張する音楽業界のセクシズムは存在するのか? 1」の続きです。

 

 

三十年以上前の会話から

 

vivanon_sentence丸二日ほど考え続けて書いたビョークの投稿のついての疑義をFacebookに出したあとも、ずっと私は考え続けていて、思い出したこと、思いついたことがいっぱいあります。たったひとつのことでもこうやって考え込んでしまうから、「ビバノンライフ」で反応した時にはネタが消費され、すでに皆さん次のことで騒いでいるってことになります。でも、しゃあないです。調べたり、考えたするのが私の売りですから。

思い出したことのひとつは、今から三十年ほど前のことです。当時、イラストレーターや漫画家とつきあいが多くて、何人かでダベっている時に、イラストレーターとして第一線でブイブイ言わせていたスージー甘金さんが、こんなことを言ってました(スージーさんじゃなかったらごめんなさい)。

「イラストレーターが一度作品を認知されると、その作風でしか依頼して来ないので、新しいことができない」

期待の範囲から逸脱すると、いかにそのイラストの出来がよかろうが、「こんなものは依頼していない」ということになってしまいます。

イラストの場合、今までの路線の範囲でしか作品が受け入れられないのは当然と言えば当然。ポップなイラストを期待したら、写実的な風景画が送られてきましたと。「これは会社のイメージ、商品のイメージと違う」ということになるでしょう。

清楚なイメージで売っているモデルさんをコマーシャルに起用したら、当日スタジオに現れた彼女はラスタヘアにガングロのメイク。「これは違う」になるようなものです。メイクだったら、直せばいいだけですけど。

一般の人たちは、名前と無関係に、そのイラストを評価することもあるでしょうけど、「あ、『宝島』でいつも見ている人だ」といったように、自分の知識の中で安心感を得ますから、「売れている人であること、そのことがすぐに認知できること」で効果を生みます。業界的にも「売れっ子のイラストレーターに依頼するとはさすが電通」という評価にもなり、イラスト料にはその評価代も含まれています。

SNSの時代はそれがいっそう顕著になっていて、「知らないこと」ではなく、「知っていること」に人は食いつきます。知らないことにはコメントできない。知ろうとすると時間がかかる。知っていることなら改めて時間をかけず、「それってスージー甘金だね」とコメントすることで自分をアピールできます。

需要が見えない私の本を出すおかしな出版社」に出版界では実績主義が強まっていると書きましたが、広く一般にもこの傾向が強まっているのだと思います。

 

 

売れたからといって自由になるわけではない

 

vivanon_sentenceぼんやりした記憶ですけど、この話は「イラストレーターにとっての展覧会の意義」みたいな流れの中で出てきたんじゃなかろうか。

スージーさんか、その場にいた他のイラストレーターだったか、こんなことも言っていたはず。

「新しい試みは展覧会で見せていくか、ふだんの仕事の中で少しずつ入れていくしかない」

こんな茶飲み話を今でも覚えているくらいで、大学を出て一年か二年の私にとっては斬新でした。

「絵でも音楽でも小説でも、それまではさまざまな試みを次々としていた人が、売れた途端にその作風の模倣になって、自己のコピーを惰性でやっていき、やがて飽きられていくパターンになりやすいのは、売れた状態を維持したいという当人の気持ちだけじゃなく、周りが新しいことをやらせないという事情もあるのか」と学びました。

もちろん、金を得れば、自腹を切って展覧会をやって、そこで好きなことを好き放題やることもできるのですけど、売れると時間がなくなり、日々の仕事に埋没していく。

売れたからって好きなことができるわけではないことを知り、クリエーターというのは大変だなあと世間知らずだった私は思ったものです。

 

 

消費者も期待に縛られる

 

vivanon_sentence期待を外れることをやらせないのはこと代理店やクライアントという存在だけじゃなくて、広く一般に同じことが起き得て、よくよく考えればこういうことって誰しも経験していると思います。

あるパンクバンドが大好きで、そのバンドのギタリストのソロアルバムが出たので買ったら、スパニッシュギターのアルバムだったとしましょう。そのギタリストは子どもの頃から、ずっとスパニッシュギターをやっていて、スペイン料理店でライブも続けており、アルバムはそちらの流れで制作されて、全編フラメンコ。その両方を同じく楽しめる人は少ないでしょう。仮にパンクもフラメンコも好きな人がいたとしても、「おまえにこれは期待してないよ」ということになりそうです。スパニッシュギターが好きな人たちからは、「あいつはパンクだろ」とそっぽを向かれる。

 

 

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