刑事と民事の違い・道徳と法の違い—「セックスワーカーのためのアドボケーター養成講座」のご報告 4-(松沢呉一)-3,075文字-
「刑法175条・姦通罪・売防法—「セックスワーカーのためのアドボケーター養成講座」のご報告 3」の続きです。
ガックリきた質問
前回に続いて、会場からの質問です。
ふたつめは「今でも不倫は離婚の理由になるし、損害賠償の対象になる」といったもの。これは私が「姦通罪を考えれば、売春を法で禁ずる必要はない」と言ったことに対するものです。
姦通罪で罰せられるのは刑事、婚姻関係における離婚事由になることや損害賠償の対象になることは民事。そんなことは当然踏まえた上で説明をしたのですが、何も理解できていなかったのかなあとガックリしました。
売春も民事の問題にすればいいだけ。妻が夫に黙って売春をしましたと。あるいは夫が妻に黙って買春しましたと。それを理由に離婚するなり、損害賠償請求するなりすればいい。娘が売春しましたと。それで叱るも絶縁するも家庭内でご自由に。
配偶者の売買春は、「つねにどんな時でも」ではないにせよ、現在でも正当な離婚事由になり得ましょうから、すでにこれらは実現しています。
婚姻外での性交渉をビジネスにしていることがありますね。性風俗一般にそうですし、ハプバーやハッテン場もそうです。これは営業というところで取り締まればいい。風営法がありますし、飲食を提供しているなら食品衛生法の届けが必要。
これに対して、婚姻外のセックスを禁止し、処罰する法律を制定する必要などないでしょう。それは個人の問題であり、個人対個人の取り決めの問題ですから、そこに国家が踏み込む必要はない。ハプバーやハッテン場は公然わいせつで摘発されてしまいますが、これも不要だと私は思っています。
※東大にある誰か知らん人の銅像
性の領域は個人のもの
性の領域は個人のもの。国家が介入する範囲は極力狭くすべきです。家庭内で取り決めるべきことは家庭内で済ませる。それができない家庭があるからと言って、法に禁じてもらったり、処罰してもらったりすることを期待すべきではありません。個人の領域のものを法に簡単に委ねてはいけない。「個人の選択」「個人の意思」「個人の決定」を法が否定してはいけない。
というだけのことで、「だから売防法もいらんでしょ」と言っているのに、たぶんこの質問を書いてきた人は刑事と民事の区別がついていないのでしょう。それがわからんと、私が語ったことの大部分は理解できなかったのではなかろうか。事実、こんなことを書いてきたのですから、なんもわかっていないのだろうと思うしかありません。
もし刑事と民事の区別がついておらず、「不倫は離婚事由として認められるのだから、売防法はあっていい」と思っているのであれば、この人は姦通罪復活にも反対をしないのでしょうか。妻だけを罰するのは不均衡だから、夫も罰する姦通罪がいいと思うなら、こんな講座に来るのではなく、矯風会にでも行った方がお仲間が見つかると思います。
前回書いたように、「姦通罪の廃止にこの社会は合意しているはず」「姦通罪復活を主張するのは狂信的宗教家くらい」と私は思っているのですが、「現になくなったからそれでいい」と現状を肯定しているだけで、「なぜなくていいのか」「なぜない方がいいのか」まで突き詰めて考えている人はそう多くはないのかもしれない。
たんに「女だけが罰せられるのはおかしい」というのであれば、両罰の姦通罪にはあっさりと賛成するのではないかと怖くなります。
※チャールス・ディキンソン・ウェストの銅像。誰か知らん。
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