松沢呉一のビバノン・ライフ

舶来品禁止を主張する婦人教育家—女言葉の一世紀 66-(松沢呉一) -3,712文字-

堺利彦が記述する運動会の様子—女言葉の一世紀 65」の続きです。

 

 

 

舶来品を有り難がる日本娘

 

vivanon_sentence扇谷亮著『娘問題』(明治四五年)に戻ります。

ハイカラはもともと舶来品を有り難がる様子を意味する言葉ですから、ハイカラ女学生たちが舶来品を好んだのは当然ですが、『娘問題』には、どこの誰かわからないサムマース嬢というのが、英国人から見た日本娘の舶来指向を批判的に語っていています。

 

 

以前は日本の娘は上中流を通じて乳母や女中が側に付き又箱入りと云ふことを好いものと信じ、外出も余りさせなかった故、誰の前でも羞かんでオヅオヅして居ましたが、此頃は電車に乗るとか汽車に乗るとか絶えず男を見る為で、自然男に馴れ、西洋の娘と同様、男なんどは何とも思はなくなったのは何より結構です。尤も西洋の娘でも日本の娘でも「ああ、あの方の風采は立派で学問も出来さうだし」抔(など)云ふ場合にパット顔を赤らめるのは変りはありませんが、之れは却って奥床しく思はれます。

着物は日本の娘には日本のが似合うとの話も耳にして居ます。成程お花見や草摘みの折はヒラヒラ蝶の舞ふやうに五、六歳から十七、八歳の娘達が余念なく遊ぶ美しさは西洋の油絵にもありません。然し上野、日比谷の公園又は銀座辺りを散歩する時大風が吹き出し、前がはだかり、白い脛や股の現はれるのは悪感を催させますが、西洋服は此点になると安心なものです。和服洋服何(いず)れが好いかとなれば各特色を持って居るから先づ此折衷服が一等優美でせう。現に外国にも「キモノコート」「キモノブローズ」等の名が付けられ、娘連中は喜んで着る許りか、御覧下さい、私も此通り着て居るではありませんか。

英国の婦人は自分の娘を教育しますに、「お前達は外国製の化粧品や衣服を買ってはなりません。凡て我英国で出た物に金を払ひなさい。贈物として貰ひ受るのは別ですが」と云ふ風ですから、その娘達が嫁入りました暁も確然(ちゃん)と此教を守り、心を用ひて輸出超過の方法を講じ、商工業の発展に尽力して居ますのに引換へ、日本の娘さん達は何うでせう、「やあ、此覆面は巴里製だ」とか「袴はかしみやで無ければ気に入らぬ」なんて種々文句を列べる癖が嵩じ、良人を持つと良人の腹の底も知らず、矢鱈無性に駄々をこね、結局、独良人に仇する許りか輸入超過をさせ、段々国を貧乏にさせる。

 

※これまで同様、句読点は適宜修正しています。

 

 

「はだかる」は「はだける」と同じ意味です。「ブローズ」は「ブラウス」のことでしょう。

日本が海外のものより良質な製品を作っている例もあったでしょう。漆塗りとか絹とか春画とか。一部陶器もそうです。

でも、歴史の浅い洋装については、欧米のものを買うしかなかったのですから、これは無い物ねだりかと思います。

冬ものってことでしょうけど、カシミアの袴なんてあったんか。と驚いたのですが、それほど珍しくはなかったようです。

袴なんてそんなに高いものではなく、上はともかく、女学生の標準服としての袴は貧富の差が出にくいと思っていたのですが、カシミアともなると差が出ます。使用する生地が大きいし、英国で作られた生地だったりするのでしょうから、今よりずっと高くて、今で言えば確実に数万円はしたでしょう。

そのくせ、ケツの部分がすぐに伸びてしまいそう。そんなもんで体操をしたら、すぐに傷みそう。

※図版は東京小間物化粧品商報社編『東京小間物化粧品名鑑』(明治四四年)より。上は国産なのに「パリーみやげ」のコピー。下は国産なのに舶来テイスト。

 

 

舶来品禁止の主張

 

vivanon_sentence太平洋戦争が始まってからはもちろんのこと、それ以前から着々と輸入品の規制は始まっていて、昭和十四年の「非常時期輸入禁止弁法」では、洋酒、外国煙草、海産物、絹製品、化粧品、装飾品、玩具、楽器、果物、缶詰、羊毛品、綿製品、木材、紙類などの奢侈品や国産品で代用が可能なものを中心に二百三十四品目が許可なく輸入することを禁じられています。

しかし、その前から、輸入品を制限する主張はありました。明治初頭から舶来品排斥運動が起きていますし、大正時代に、良妻賢母を旨とする女学校の校長が主張しています。

以下は嘉悦孝子著『怒るな働け』(大正四年)より。この中に出てくる「戦争」は欧州大戦、つまり第一次世界大戦のことです。

 

 

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(残り 2005文字/全文: 3842文字)

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