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【コラム/コメント】丸山祐市、歓喜と苦渋の一年(2012/12/14)

鳴り物入りでFC東京に加入も、慎重に扱われた序盤戦

三田啓貴(来季からFC東京)、山田大記(ジュビロ磐田)、小林裕紀(ジュビロ磐田)、宮阪政樹(モンテディオ山形)、笠原昂史(水戸ホーリーホック)、都丸昌弘(横河武蔵野FC)、日野竜一(HOYO AC ELAN大分)ら、錚々たる選手を輩出した2009年メンバーの一員として、明治大学からFC東京に入団した丸山祐市。
天皇杯で湘南ベルマーレ(J2:3位)とモンテディオ山形(J1:15位)を撃破してから三年、ことしはJ1の選手としてJクラブと対峙した。
新体制発表の日には、なるべく多くの試合に出場してオリンピックに──との青写真も描いていた丸山だったが、この才能を潰してはなるまいと、ランコ ポポヴィッチ監督がプロデビューに対して慎重な姿勢を崩さなかったこともあり、シーズン序盤は出場機会がなかった。
転機はアウエーのJ1、対柏レイソル戦(8月11日)。退場者が出て数的不利のなか、とにかく守るしかないと、よけいなプレッシャーを感じずにプレーした。


そしてホームのナビスコカップ準決勝第1戦、対清水エスパルス戦(9月5日)でプロ初先発。左サイドバックとして豪快に駆け上がり、守備もまっとうして殊勲の大活躍だった。
しかし丸山にとっての対清水戦第2ラウンド、J1のアウエー戦(9月15日)は苦戦の末に引き分け。そしてナビスコ準決勝の第2戦(10月13日)は自らのサイドも蹂躙されて清水に惨敗した。
やがてシーズン終盤になると故障者が復帰したこともあり、出場やベンチ入りの機会は減っていった。
本人はこの一年をどう捉えているのか。丸山に訊いた。

──加入初年度のことし、リーグ戦三試合とナビスコカップに出場してACLもベンチに入りました。全然引っかからなかったわけじゃなくて、喰い込んだという感触があるんじゃないかと思うんですが、いかがでしょうか。

丸山祐市 ことしはけが人が出たことでチャンスが巡ってきて、そこで結果を残したことで、試合に少しだけ出場しつづけることができました。監督がどう思っているかはわからないですけど、いま仰ったみたいに「試合に出られないわけではない」という枠組みのなかには入れたのではないかと思います。

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