「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

「正直言うと、パンくんからポジションを奪いたかった。守備は間違いなくJリーグナンバーワンの右SB」(金井) [短期集中連載:ドキュメント 小林祐三 vo.3]

 

vol.2からの続き

 小林祐三が柏レイソルから横浜F・マリノスに移籍してきたのは2011年だった。その直前に大量の主力選手が契約非更新となり、クラブは自らの判断で岐路に立とうとしている時期だった。

あれから6年の月日が流れた。その間にリーグ戦で積み上げてきた試合は、実に『187』。1年平均30試合以上コンスタントに戦い、それ以前に出場していたJ1試合数と合わせて、ちょうど300試合に到達した。

来季、右サイドに金髪がトレードマークの背番号13はいない。横浜F・マリノスと小林祐三は別々の道を歩み始める。だが、その前に記しておきたいことが山ほどある。

 

 

堅守の一角として

右SB小林の“サッカー観”

 

2011年、小林祐三はトリコロールのユニフォームに着替え、横浜F・マリノスの一員としてピッチに立った。そのシーズンの開幕戦がアウェイゲーム(対名古屋グランパス)ということで、着用したユニフォームが前所属・柏レイソルのメインカラーに近い蛍光イエローだったのは、人一筋縄ではいかない癖っぽい男の微笑ましいエピソードか。

試合は兵藤慎剛のゴールで先制するも、終盤にPKを与えて失点し、1-1のドロー発進に。50メートルを5秒8で走る永井謙佑が木村和司元監督から『スピード違反』と賛辞を受けた試合である。

移籍後初勝利は、3月11日の東日本大震災を経て、Jリーグの再開初戦となった鹿島アントラーズ戦だった。開始3分に小椋祥平のゴールで先制すると、76分にセットプレーの流れから栗原勇蔵が追加点。さらに90分にカウンターから相手のオウンゴールを誘って3-0。放ったシュートはたったの4本だが、鹿島の猛攻をしのいでのマリノスらしい勝利に、堅守を体現する一人として貢献した。

移籍当初から今シーズンまで、小林は常に似た言葉でマリノスのアイデンティティを表現してきた。

「今日は籠城作戦が見事にハマった。ウチはゴール前での耐久力があるチーム」

「点を取るのが早過ぎても大丈夫。マリノスには守備のマインドがあるから守り切れる」

 前述した鹿島戦が象徴するように、在籍期間中は堅い守備陣の一角という自負を持っていたように感じる。自分たちの守備力に自信を持ち、完封で勝利を収めた試合後には「今日は守りのリズムがあった」と堂々と胸を張る。彼自身のプレースタイルとチームの方向性が見事に合致し、小林とマリノスは相思相愛の関係を育んでいく。

見方によっては攻撃面での物足りなさを指摘する人もいるかもしれない。たしかに攻撃参加のみを期待した場合、よりゴールに直結できる選手が他にいただろう。だが、彼の価値観の中で右SBはあくまでDFの一部に過ぎない。守備だけをしていればいいわけではないが、守備をおろそかにしてまで攻撃に出て行く無謀なプレーには賛同しない。これに関しては今季もまったく変わらず、おそらく来季以降どこのチームでプレーしても変わらないはずだ。

その頑固さも魅力の一つである。他人に指摘されても絶対に曲げない意志の強さを持っている。それは発する言葉の端々に感じられたのではないだろうか。

「なぜタッチライン際を駆け上がってクロスを上げるプレースタイルが美徳とされるのか、オレには本当にわからない」

 試合後のハイライトに映し出されがちな、リスクと背中合わせの攻め上がりを繰り返すSBのプレーを見て、いつも首を横に振っていた。

 

 

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