「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

(齋藤学の慰留交渉について)「どれだけの覚悟なのか宮崎キャンプで何度も話をしました。『生半可な覚悟では渡せない』と」 【利重取締役インタビュー第2回】

 

実施日:4月27日(木)
インタビュアー:藤井 雅彦
カメラマン:星 智徳
協力:横浜F・マリノス広報室

 

スペシャルインタビュー第2回では、利重氏がチーム統括本部長として過ごした約8ヵ月を振り返ってもらった。

何人かの主力選手が移籍の道を選び、齋藤学は海外移籍の道を模索した。そしてCFGとのネットワークを駆使することで、過去のJリーグには例のない外国籍選手獲得が実現した。

利重氏だからこそできたこと、今だから話せること。あの日の出来事が、鮮明に思い出されてくる。

 

 

前回からのつづき

 

――あらためて昨年7月にチーム統括本部長に就任された経緯をお聞かせください。

「その前段階として、昨年の3月一杯まで下條さんがチーム統括本部長を務められていて、4月からはアイザック・ドルがスポーティングダイレクターに就任していました」

 

――アイザック・ドル氏招聘は利重さんの考えや意向も含まれていたのですか?

「CFGのネットワークを駆使しながら候補者数名をリストアップし、最終的には当時の社長である長谷川さんや私が候補者と直接面談を行った上で登用を決めました」

 

――4月以降、チームはどう変化したのですか?

「マリノスをオン・ザ・ピッチでもオフ・ザ・ピッチでも躍動感のあるクラブに変えていきたいと考えていました。アイザックの人事もその一環でしたが、一方でさまざまな人が関わるポジションでなぜこのような人事を行ったのか?という説明が不足していましたし、アイザックに対するサポートも十分ではなく、現場では選手やスタッフが戸惑いを感じることが少なからずあったと記憶しています」

 

――チーム統括本部長の職には利重さん自らの意思で就任されたのですか?

「私自身はそれまでは組織の外からクラブ全般に変革を促す役割を担っていましたが、現場の混乱が許容度を超えてしまっているかなと感じ始めていました。ミッション遂行のためには、一旦強化部門に絞り、組織の中に入って責任を全うすべきとの自分の直感もあって、チーム統括本部長の職に就かせてもらいました」

 

――7月以降は激動の時間だったと推察します。

「はい。一方で、それまでの習慣、慣行を変えて新しいものを作っていくためには必要な痛みを伴う期間だったと捉えてもいます」

 

――欧州と日本の文化、あるいはマリノスとCFGの価値観の違いも大きかったのでは?

「欧州は確かによりビジネスライクな文化です。ただ現実として、Jリーグが変革期を迎えている中、マリノスに適した形で、ビジネスの観点を強化していかなければなりません。つまり、クラブとして経済的に自立するということ。クラブ単体で得られる売上で経営を成り立たせるのは大きな目標です」

 

――年末は既存選手の慰留交渉と同時に、外国籍選手も含めた新規獲得の仕事もあったと思います。役割分担などはあったのですか?

「11月上旬にシーズンが終了しオフシーズンに入るまでは、日本人選手や外国籍選手にかかわらずアイザックが中心となって編成の仕事を進めていました。その後は、お互い密に連絡を取り合いながら、私が日本人選手、アイザックが外国籍選手という分担に自然になっていきました」

 

――外国籍選手を獲得する際、CFGのネットワークはどのように生かされていたのですか?

「CFGにはグローバルなネットワークに基づく膨大な量のデータベースがあります。この6月でマリノスとCFGの提携関係が4年目を迎え、エリク・モンバエルツ監督も就任3年目となり、マリノスが目指すサッカーがより明確になっていく中で、各ポジションに必要な選手を、CFGの持つデータベースの中からリストアップしていきました。その際、日本人で探すのが難しいポジションから優先的に調査を行いましたが、今年から外国人選手を保有できる枠が『3+1』から全体で『5』に変わったことも大きなポイントとなりました」

 

――最初にウーゴ・ヴィエイラの加入が発表され、タイキャンプ終了後にダビド・バブンスキーとミロシュ・デゲネクが加わりました。彼らを獲得した経緯にとても興味があるのですが。

 

 

 

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