【赤鯱探訪】松本孝平編①「サッカー選手でいられているだけで、幸せです」
悲運のストライカーである。だが、まだ若く将来がある選手でもある。国士舘大から救急救命士の資格を持つ異色のFWとして加入した松本孝平は、名古屋では負傷との闘いに終始し、チームを去った。右脚の開放骨折の治療が終わってすぐに左足のアキレス腱を断裂するという絶望的な状況から外へと活躍の場を求めてから、もうすぐ2年の月日が経とうとしている。その日々の中で男は自らとの対話を重ね、精進に励んできた。186cm、87kgの巨躯を生かしたプレーは名古屋のサポーターたちにはまだ披露できていないが、いずれ見ることになるかもしれない。彼はまだ諦めていないからだ。大好きなサッカーで活躍すること、そしてその向こうにある“始まりの場所”である。Jリーグという舞台でプレーすることを。
Q:まずは名古屋を離れてからのことをお聞きします。一昨年のちょうど飛騨古川キャンプ初日に相模原への期限付き移籍がリリースされたことをよく憶えています。
「はい、そうでしたね。僕にとってはサッカー選手としてのスタートがそこだったと思っています。とにかくサッカーを頑張らなきゃ、というところから始まりました。名古屋グランパスには在籍していましたけど、ほとんどプレーしていなくて…復帰して1ヵ月くらいですかね。そのまま出ることになってしまったので、ケガ明けの自分としても声をかけてくれた相模原の期待に応えなきゃ、ということが一つ。それと、どうしてもサッカーから離れている期間が長かったので、その感覚を取り戻さなきゃな、ということを考えながら、相模原ではサッカーをやっていました」
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