石井紘人のFootball Referee Journal

ブンデスリーガのマティアス・イェーレンベック主審「明らかなPKという場合、その前に相手側で不明確な要素で試合を流したからこちらも流すということはあり得ない」(Number「欧州サッカーPRESS」中野吉之伴氏)

基準と裁量、そしてレフェリーのエンパシー。何よりも審判はスポーツというのが語られている。必読。

「審判の立場から言わせてもらうと、判定の際には、ある程度の許容エリアをオープンなままにしておくという感覚で捉えているんだ。

ゲームをよりよくマネージメントするため、選手やチームを導くため、オープンにしておいた余白を上手く使うといった感じかな。例えば、片方のチームに不明確な要素があり試合を流したのであれば、もう片方のチームに不明確な要素があった場合はそちらも流すというふうに、バランスを取る能力は必要だと思う。もちろん、やりすぎはよくないよ。あくまでもルールにのっとって笛を吹いているからね。

先ほども言ったけど、ほとんどのシーンに対しては明確な基準を持って判定している。明らかなPKという場合、その前に相手側で不明確な要素で試合を流したからこちらも流すということはあり得ない」

「審判に対する文句やヤジというのは問題ないものとして受け止めているよ。私たち審判の役割はルールに基づく判定をしていくことで、それぞれファンの願いや望み通りに笛を吹くことではないからね。でも、それが度を越して審判をしている人の人間性を攻撃するような場合は問題だ。そこは、しっかりと分けて考えないといけない。審判の判定に対する批判はオッケーだし、オッケーでなければならない。けれども、それが個人の人間性を攻撃するようにことはあってはならない。」

https://number.bunshun.jp/articles/-/848146

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