J論プレミアム

その日、新潟で信じられない光景を目にした(えのきどいちろう)

タグマ!サッカーパック』の読者限定オリジナルコンテンツ。『アルビレックス散歩道』(新潟オフィシャルサイト)や『新潟レッツゴー!』(新潟日報)などを連載するえのきどいちろう(コラムニスト)と、東京ヴェルディの「いま」を伝えるWEBマガジン『スタンド・バイ・グリーン』を運営する海江田哲朗(フリーライター)によるボールの蹴り合い、隔週コラムだ。
現在、Jリーグは北は北海道から南は沖縄まで58クラブに拡大し、広く見渡せば面白そうなことはあちこちに転がっている。サッカーに生きる人たちのエモーション、ドキドキわくわくを探しに出かけよう。
※アルキバンカーダはスタジアムの石段、観客席を意味するポルトガル語。

 

 

Jリーグクラブはマーケティング活動の規制緩和でどう変わるのか?(えのきどいちろう)えのきど・海江田の『踊るアルキバンカーダ!』]七十段目

 

■浦和と新潟では田中達也の印象は異なる

J2最終節を前に新潟・アルベルト監督は田中達也のスタメン起用を明言していた。2021年12月5日、ビッグスワンの新潟×町田戦は特別な意味を持つものになった。「田中達也引退試合」だ。現役生活21年。2001年に浦和でキャリアをスタートさせ、スタープレーヤーとして大活躍、2013年に新潟へ移籍するや9シーズンにわたって影日向なくチームを鼓舞し、けん引した。

J1通算333試合出場(66得点)、J2通算55試合(3得点)リーグカップ戦64試合(17得点)、天皇杯22試合(11得点)、ACL通算8試合(3得点)。U‐23日本代表、日本代表。これは赫々(かくかく)たるキャリアだ。ついに日本サッカーのレジェンドが「ブーツを吊るす」日が来てしまった。

J1最終節が前日の4日(土)に終了していたので、急きょ新幹線に乗って新潟へ駆けつけた浦和サポもいたようだ。ビッグスワンで赤いシャツを見かけたわけじゃないから確認は取れないが、サッカー好きの知人(複数)から「達也の熱狂的なファンが新潟へ向かった」と連絡をもらった。浦和サポにとって達也は永遠の「ワンダーボーイ」だ。高速ドリブルで敵DFラインをズタズタにするヒーローだ。そして試合で右足首脱臼骨折の大けがを負い、輝きを失っていった悲運のスターだ。僕は(駆けつけてくれた)浦和サポの気持ちが痛いほどわかる。フットボールの光と影を体現したプレーヤー。すぐに映画にでもなりそうな魅力をたたえている。

ただ新潟サポにとっての田中達也は少し意味が異なるのだ。コンディションの整わない状態からトレーナーがつきっきりで故障を癒し、フルタイム出場は難しくとも戦える身体をつくり直した。出場時間も試合数も浦和時代とは比較にならないが、そのプロとしての姿勢は多くの後輩を導く指針となった。達也は練習でも一切手を抜かない。後輩は「達さんがあれだけやってるから僕もやらないと」とその姿勢を学んできた。僕がいちばん「オレンジと青の」達也で思い浮かべるのはその影響力の大きさだ。田中達也が聖籠の練習ピッチにいる尊さというもの。

気がつけば新潟在籍9シーズンは浦和時代に劣らぬ長さになっていた。もうひとつ見逃せないのは2013年以降ということは、新潟がJ1ひとケタ順位から転落し、社長交代・監督交代を繰り返す迷走の時期であったことだ。端的な表現を使うが「達也は一緒に沈んでくれた」のだ。あの赫々たるキャリアの持ち主がJ2だろうと、試合翌日の控え組との練習試合だろうと、出場機会のある限り全力でプレーしてくれた。彼のひたむきさはいつも基準であり、希望だった。若いFWは「なぜ達也のように追い回さない?」と疑問を投げかけられた。彼はいつも勝ち負けを超えた何物かを見せてくれた。沈んでゆくクラブの希望の光。

 

 

■試合中に起きたとても美しい出来事

2021年J2最終節・町田戦は田中達也の今シーズン初出場試合だった。監督の予告通り、スタメン出場だ。達也の名前が場内にコールされるとひと際大きな拍手が送られる。見るとこの日のために手製のゲーフラを用意したサポが多かった。「14 達也 ありがとう」「田中達也 FOREVER」。本当なら達也の名を呼び、思い切りチャントを歌いたいのだ。それがコロナ禍の規定で叶わない。

試合開始の笛が鳴り、達也は思い切り駆ける。あぁ、最後までチームのために走ってくれるんだなと思う。みんなが思い描く田中達也そのものだった。骨惜しみしない。ムダ走りをいとわない。ボールを持ったら積極的に仕掛ける。ひとつだけ残念だったのは新潟ゴール裏から遠いほうのエリアでプレーが終始したことだ。前半のピッチの向きはそうなってしまった。ホームスタジアムだからぐるっと360度、ファン、サポーターはいるけれど、いちばんコアなサポにずっと背中を向けてプレーすることになった。

ピッチ外で控え選手がアップを始める。思ったより早く下がってしまうのか。三戸舜介が準備している。僕は達也が誰と交代するのかに注目していた。絶対に90分はプレーできない。前半の45分も難しいのじゃないか。達也が誰と交代するかはアルベルト監督のメッセージだ。要は「お前が次の田中達也だ」という意味だ。交代で入る選手は一生忘れないだろう。とてつもなく大きな経験だ。田中達也の魂を特権的に引き継ぐ。前半32分、その時が来た。交代ボードが掲示され、やはり田中達也OUT、三戸舜介IN。場内はため息につつまれ、ややあって盛大な拍手が起きた。

と、そのとき信じられない光景を観客は目にしたのだ。新潟、町田両チームのイレブン(GKも含む)、それからリザーブの選手、チームスタッフ、審判団が2列に並び、田中達也を送り出す花道をつくった。達也はうつむいて涙をこらえていた。花道のみんなが拍手を送る。観客席はスタンディングオベーションだ。試合を停止させて、サッカーファミリーは最大級のリスペクトを達也に示した。僕は不勉強ながら、こんな美しい光景を欧州のどこのリーグでも見たことがない。

 

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