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映画『壁を壊せ!-ドイツ女子サッカー 台北の奇跡-』と、台湾で若林美里選手が経験した「映画のような実話」

今回は台湾を舞台にした映画と、若林美里選手が台湾で体験した「映画のような実話」です。皆さんは台湾の女子サッカーについて、何をご存知でしょうか。かつて、台湾女子代表は世界の強豪でした。AFC女子アジアカップを三連覇(1977年、1979年、1981年)し、1990年代まではアジアのベスト4の常連。台湾で開催される大会には世界各国から有力選手が集まり、常識を覆す「奇跡」を起こしていました。台湾でプレーしている日本人・若林美里選手、日本でプレーしている台湾人・mino(蔡明容)選手、1977年に台湾へ日本の女子サッカー初の海外遠征を行ったクラブチーム・FCジンナン、1981年に西ドイツの代表として台湾へ遠征したクラブチーム・SSG 09 ベルギッシュ・グラートバッハの4つの物語が2021年に交わりました。

日本でプレーする台湾女子代表mino(蔡明容)選手は、台湾女子サッカーをどうのように考えているのか?

台湾の女子サッカーの歴史を若い世代の選手は、どのように認識しているのでしょうか。FCふじざくら(山梨県女子サッカーリーグ1部)でプレーするmino(蔡明容)選手にお聞きしました。

mino(蔡明容)選手 提供:FCふじざくら

Mino–台湾の女子サッカーチームの歴史といえば、「ムーラン」が最も馴染み深いです。1977年に結成された代表チームですが、政治的な理由で当時は「ムーラン」の名前でしかプレーできなかったです。「ムーラン」は、19778月に台北で開催された第2AFC女子アジアカップで優勝。その後も多くの大会に出場し、優勝を果たしました。輝かしい時代であり、私たち後輩を励ましてくれる目標です。

—今の台湾女子代表の目標は何ですか?

Mino–過去の輝かしい歴史を経て、落ち込んでいる台湾女子サッカーの目標は、アジア競技大会のトップ4に戻ることです。2018年にパレンバンで開催されたアジア競技大会で、台湾女子サッカーは20年ぶりにこの目標を成し遂げました。これは非常に奮い立つスタートです。次の目標は2022年のAFC女子アジアカップで(上位のチームが出場できる)FIFA女子ワールドカップ2023オーストラリア・ニュージーランド大会出場の切符を手に入れ、台湾女子サッカーが世界最高の舞台に戻ってくることです。

台湾では他国に比べてサッカーをしている女子選手が多くないです。少子化が進んでおり、逸材の選抜もさらに難しくなっています。しかし、台湾の女子サッカーチームは昔から刻苦勉励の精神を持ち、強豪国を前にしても決してあきらめずに戦い続けます。 多くの国際大会で、かつて活躍していた頃の姿にはまだ戻っていないですが、多くの監督や選手が台湾女子サッカーの普及に力を入れています。台湾女子サッカーが昔の栄光を取り戻し、もっと世界のサッカーに近づけることを願っております。

※日本のサッカー雑誌の記事を見ると、1981年に香港で開催されたAFC女子アジアカップは「日本は、予選リーグでムーランに敗れた後、タイに0-2と敗れて」と表現されています。

AFC女子アジアカップを三連覇し日本の雑誌でも大きく扱われた

台湾ムーランフットボールリーグで活躍する若林美里選手も知らなかった「台北の奇跡」

ここからは、今回の記事の主役・若林美里選手のインタビューです。若林美里選手に、これまでのキャリアを尋ねると、小学生の頃の夢の話から始まります。

若林–サッカーを本格的に始めたのは8歳。子供の頃から「世界で活躍する選手になりたい」と思っていて、作文にも夢を書いていました。小学生の時にキヤノン ガールズ・エイトサッカー大会に参加し、米国遠征メンバーに選ばれて、初めて海外遠征を体験しました。そこで「世界で活躍する選手になりたい」という想いがさらに強くなりました。親元を離れてJFAアカデミー福島に入り、中学生、高校生の6年間を過ごし、海外遠征を毎年経験させてもらいながらプレーしてきました。アルビレックス新潟レディース、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースを経て、2020年シーズンから台湾ムーランフットボールリーグ(台灣木蘭女子足球聯賽)の高雄陽信銀行女子足球隊(Kaohsiung Sunny Bank)でプレーしています。

提供:若林美里選手

若林美里選手は自分の内面をさらけ出し、noteで週に1回の配信をされています。ビジネスマインドを持ったスポーツ選手たちのグループ「Athleteslin.ee/zThEuNY を立ち上げて、トップアスリートを目指す学生プレーヤーが交換夢日記のように気軽に選手に質問できるサービスの開発を進めています。女子サッカーのエリート街道を歩み、なにごとも前向きに取り組む若林美里選手が、なぜ台湾でプレーすることになったのかを探っていると、筆者はヨコハマ・フットボール映画祭2021で上映される映画『壁を壊せ!ドイツ女子サッカー 台北の奇跡』に遭遇しました。

映画『壁を壊せ!ドイツ女子サッカー 台北の奇跡』で知る1970年代〜80年代の台湾女子サッカー

映画『壁を壊せ!ドイツ女子サッカー 台北の奇跡』は1981年に台湾で開催された「女子サッカー世界選手権」に参加する西ドイツのクラブチームの物語です。台湾は西ドイツサッカー連盟に西ドイツ女子代表の参加を打診するのですが、当時、西ドイツ女子代表は、まだ活動しておらず、クラブチーム・SSG 09 ベルギッシュ・グラートバッハが西ドイツの代表として参加するのです。

ヨコハマ・フットボール映画祭2021新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言により開催が延期されました。

—日本でも同じようなことがありました。1977年に台湾で第2回AFC女子アジアカップが開催されるのですが、当時の日本サッカー協会には女子サッカーを統括する部署がなく、招待状がFCジンナンというWEリーグの岡島喜久子チェアがプレーされていたクラブチームのメンバーの自宅に届くという出来事がありました。この招待状により、FCジンナンが日本の代表として日本の女子サッカー史上初の海外遠征に挑むことになったのです。このように、1970年代末から80年台にかけて、台湾が起点になって、当時、まだ日の目を見ていなかった世界各国の女子サッカーが表舞台に立ち始めるということが起きていたのです。

若林–えー!? 台湾が手を差し伸べて、世界の女子サッカーを引き上げていったのですね。今と比べると不思議ですし、考えられないというか、ホント面白いですね。台湾では野球とバスケットボールに圧倒的に人気があって、サッカーはチームの知名度すらない感じですね。男女では、どちらかというと女子に人気があります。台湾のムーランリーグのレベルは「日本のプレナスチャレンジリーグくらいのレベルだよ」と事前に聞いて台湾に行きました。加入した高雄陽信銀行女子足球隊(Kaohsiung Sunny Bank)は、当時、ムーランリーグの最下位でした。

欧州にチャレンジしたかったがコロナで台湾に向かった若林美里選手

若林–もともと、私は欧州でのプレーにチャレンジしたかったです。2020320日にローマ(イタリア)に行く予定だったのですが、その時期にCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染が拡大してしまい、ローマ行きが白紙になりました。私は、どうしても海外での生活を経験したかったので移籍先を探したのですが、一旦はCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の感染が収まっている国を探すことになりました。そこで台湾が候補先になって「すぐ行きます!」となりました。「プレナスなでしこリーグ1部でプレーしていた選手が台湾に移籍した」とだけ聞くと「なんで?」と思われる方も多いのですが、そのような経緯で3ヶ月間だけ移籍するつもりでした。その後は欧州に移籍するつもりでいたので「一旦行きます」くらいの気持ちでした。ただ、行ってからは、私が27年間を生きてきた中で最も濃い3ヶ月間を経験しました。

若林美里さんの #女子サカ旅 はオシャレなアート空間

若林美里さんは、日本にいる時から美術館に行くのが好きで、一番のお気に入りはルーブル美術館だそうです。今回、若林美里さんが紹介してくださったのは、高雄港の倉庫街をリノベーションしたアート空間「駁二芸術特区」です。6階建ての建物の壁面をキャンパスのようにして描いた絵画、線路の上に現れる巨大なオブジェ、赤レンガの古い倉庫の屋根に腰掛けているマスコットのオブジェ……この空間全体が大きなアート空間になっています。倉庫は25個。広さは9ヘクタール。 

駁二芸術特区 提供:若林美里選手

若林–私は、台湾で、それほど観光をしていないのですが、ここは行きました。日本でいうと「横浜の赤レンガ倉庫のような場所」です。それに加えて、アートがあるエリアです。壁面にブワァッと大きく絵が描かれていたりします。現地の日本人に「アートな倉庫街があるよ」と誘われて連れていってもらいました。この標識、見てください。これもアートなのかな。

  

駁二芸術特区

若林–正直に言うと、台湾にスペイン語の本を持って行きました(笑)。その後、欧州に移籍するつもりだったので、中国語を本格的に覚えるつもりもなかったです。まず、台湾に行って驚いたのは、サッカーのレベルが予想と違ったことです。チーム全体では、プレナスなでしこリーグの下部組織くらいのレベルです。でも、各チームに上手な選手がいました。そして、台湾の人は、みんな優しくて、最初から台湾の印象はとても良かったです。台湾のサッカーは発展途上なので、日常生活の意識が高くないと感じました。睡眠、食事、ウォーミングアップ等々「そんなことをやっていたら勝てないよ」と思ってしまうことがたくさんありました。でも、日本との文化の違いもあるので全てを否定することはできません。ただ、私が伝えられることを伝えていこうと思いました。

提供:若林美里選手

若林–私は3ヶ月間で私は4試合(リーグ戦3試合、カップ戦1試合)しか出場していないです。最初の2試合は負けました。2試合目の試合後に私はインタビューを受けて、ロッカールームに戻るのが遅くなりました。すると1人の選手がロッカールームにまだ残っていました。チームの中では上手で常に明るく振る舞っている選手です。でも、彼女は一人で泣いていました。その涙を目にしたときに「ここにもサッカーに真剣に向き合っている人がいる」と思いました。私は「今まで心の中でチームメイトを見下していたのかもしれない、申し訳ない」とも思いました。そして「チームメイトに勝利を経験させてあげたい」と思いました。3戦目はリーグ最終節、ホームゲームでした。3戦目までの1週間はサッカーのことだけを考えて徹底的に準備しました。映像を見ながら、私の思っていることを英語のわかる選手に伝えたりもしました。勝つために、できることは何でもやりました。

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若林–最終節に臨む前のミーティングで、監督がみんなに言いました。

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