「川崎フットボールアディクト」

「長野での大敗。J1昇格は、簡単ではない」/1999年10月11日 J2第30節 川崎vs大分【経験は歴史に】#2

フロンターレの歴史を振り返る企画、第二回目は1999年10月11日に長野で行われた大分戦を取り上げたい。

当時首位のフロンターレが、3位大分との直接対決の臨むという試合だった。

この大分戦までの29試合でフロンターレは勝ち点を60にまで伸ばしていた一方、大分は49点という状態。99年のJ2は、2位以内が自動昇格。入れ替え戦などは実施されなかったため、フロンターレとしては3位大分を直接叩いて昇格を近づけたかった、という対戦だった。

この試合を紹介したかった一番の理由はこれが長野開催だったから。Jリーグ加入後、フロンターレのホームゲームが長野で行われたのはこの大分戦と、2001年の大宮戦の2回のみだったようだ。

対戦する大分は17節までは首位をキープ。地力はあったが18節の札幌戦から22節のフロンターレ戦まで5連敗しており、夏の消耗戦を乗り切れなかった。ただ、3位の位置には付けており、また2位FC東京の不安定な戦いぶりもあって、昇格圏への返り咲きを狙っていた。

そんな対戦は思いがけず0−3というスコアで大分の勝利となる。

試合後、松本育夫監督は「負けパターン。前半に決定機があったとき、前半3本のうち1つでも入っていれば」と悔しさを吐露しており、それがメモに残っていた。

■決めきれなかった前半
フロンターレの前半3本の決定機の一つが14分の攻撃だった。大分の4番平岡靖成のクリアミスから反撃。浦田尚希のシュートがクロスバーを直撃した。

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