中野吉之伴フッスバルラボ

【指導論】クラマーの教え「指導者とはチームが苦しい時に開けるべきドアを示してくれる存在である」

▼ クラマーの教えはいつでも本質をついていた!

指導者とはどうあるべきか。

こうしたことを考えるとき、僕はいつも故デットマール・クラマーさんの言葉を思い出す。いつでも物事の中心軸を捉えた発言をしていたと感じているからだ。

経験を積めば誰でもそれぞれに対処法を身につけていくだろう。何が危険で、何が安全かは多かれ少なかれわかってくる。どこまでチャレンジして大丈夫で、どこからは避けた方がいいのかという感覚は備わってくるはずだ。

でもいつも同じ通りにやればうまくいく、なんてことはない。特に指導の仕方はそうだ。現存する理論とは、あくまでもこれまでの統計とこれからの指針だと思うのだ。

サッカーでも人生でも、道に迷うことは多々あるだろう。僕にしても何度も道に迷い込んだと思う。迷ってしまったら誰だって不安になる。前を向けなくなることもある。だからといって、最初から迷わない歩き方を探すのもどうだろうか?

僕らが考えるべきは、迷ったときの戻り方、立ち上がり方ではないだろうか。事実、道に迷ったときに立ち返れるベースがある人はとても強い。そうした点で、以前紹介させていただいたベルント・シュトゥーバーさんもそうだったが、クラマーさんも本質の本質たるゆえんを何よりも大切にし、そこからの視点の持ち方を示してくれた恩人なのだ。

それをここでいくつか紹介したい。

クラマー 世の中にはたくさんのトレーニグ理論がある。だがそれ以前にまず、指導者は選手にとっての理想像でなければならない。模範となる動き、規律正しい動き、それを選手に示せなければならない。口だけの指導者には誰もついてこない。いつでも我慢強く、そして礼儀正しく。

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