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中野吉之伴「子どもと育つ」

今シーズンの挑戦がスタート!  2クラブで異なる年代を指導する 【指導者・中野吉之伴の挑戦 第七回】

ドイツで15年以上サッカー指導者として、またジャーナリストとして活動する中野吉之伴。2月まで指導していた「SGアウゲン・バイラータール」を解任され、新たな指導先をどこにしようかと考えていた矢先、白羽の矢を向けてきたのは息子が所属する「SVホッホドルフ」だった。さらに古巣フライブルガーFCからもオファーがある。最終的に、今シーズンは2つのクラブで異なるカテゴリーの指導を行うことを決めた。この「指導者・中野吉之伴の挑戦」は自身を通じて、子どもたちの成長をリアルに描くドキュメンタリー企画だ。日本のサッカー関係者に、ドイツで繰り広げられている「指導者と選手の格闘」をぜひ届けたい。

指導者・文 中野吉之伴/【twitter】@kichinosuken

▼解任後救われたのは息子が所属するチームからの誘いだった。

SGアウゲン・バイラータールU15監督を辞めることになり、その後一か月ほどしてから息子二人がプレーする「SVホッホドルフ」という小さなクラブでコーチをすることになった。具体的には、次男がプレーするU8のチームだ。

我が子の所属するチームで監督をするのは、思っていた以上に楽しい。

仲間と楽しそうにサッカーをプレーしている場にいられるのは本当に幸せだ。もちろん時に気が立つことも、気を配りすぎることもある。どれだけ指導者歴が長く持っていたとしても、我が子のいるチームの指導は初心者だからそれも仕方がない。失敗もする。たくさんする。そうしたら、いっぱい反省する。子どもたちに謝ることもある。子どもたちに謝られることもある。そして、もっと良くできるようにアイディアを練る。

こうした環境でやるのもいいなと思っていた。だから、来シーズンのことはそこまで深く考えないようにしていた。週2回、次男のいるチームでコーチをして、週末はゆっくり長男の試合観戦に通うのもいいかなとか。いや待てよ、時間があるんだったら、現役復帰しようかなとか。頭の中でいろんな想像をしていた。どれも悪くないな、と。そうしているうち、3月の下旬くらいに、かつて監督をしていたフライブルガーFCの育成部長から連絡があった。「来シーズンからうちで監督をやってもらえないだろうか?」という打診だった。

フライブルクにおいては、ブンデスリーガクラブのSCフライブルクに次ぐ位置につける古豪クラブだ。

1980年代まではブンデスリーガの2部に所属し、1906年には当時のドイツ王者に輝いたこともある。現代表監督ヨアヒム・レーフ、SCフライブルク監督クリスティアン・シュトライヒ、ドイツサッカー協会・指導者育成インストラクター元主任のフランク・ボルムートはこのクラブの出身だ。

ただ、そうした経歴を誇りに思うあまり、自分たちの立ち位置を見誤らせてきた過去を持つ。1980年代後半に3部リーグに降格すると、そこからの下降線に歯止めをかけることができなくなってしまった。2000年には経営難からスタジアムを売却。現在、そこはSCフライブルクの育成アカデミーとして使用されている。その後8年間近く、持ちグラウンドのないジプシークラブとなってしまった。

トップチームは降格を続け、一時は8部にまで落ち込んでいた。土台もなければ、ビジョンも見られない。育成年代では、各世代の上部リーグでプレーしていても、そうした選手は気づくと他のクラブへと移籍をしてしまう。指導者はそれぞれ自分のチームが勝つことだけを考え、クラブのコンセプトも、指導者間の意見交換も少ない。私が以前所属していた2009〜2011シーズンはまだそうした混乱の時代だったし、そのために首脳陣とは何度も育成の在り方で喧嘩をした。そして、私も最終的に自分からクラブを去る決断をした。

3年ほど前、当時の教え子だったルカ・モルドルから連絡があった。

現在は自分が育ったこのクラブで育成指導者となり、U15の監督をしているという。私もアウゲンでU15監督をしていたので「よかったらテストマッチをしよう」という話になった。試合では、うちが大差で負けた。選手個々の力が優れているという以上に、選手がそれぞれやるべきことを把握し、チームのために汗をかいている姿から、ルカの指導者としての腕を実感した。試合後にはいろんな話を聞いた。

「いま僕らは、若手指導者が中心になってクラブの育成を変えようとしているところなんだ。以前のように勝利だけを目指すのではなくて、選手が成長していくために何が必要かを考えるようになったんだ。トップチームの監督がプレーコンセプトを整理して、それを育成部長や僕ら育成指導者が育成コンセプトに落とし込んでいく。トップは6部の上位で、5部昇格が目の前の目標だ。フライブルガーFCのサッカーを作り上げていこうとしているんだよ」

ルカはまっすぐ私の目を見て熱っぽく語った。

それは現役時代の鋭い眼光そのものだった。まじめで論理的にものを考え、妥協せずに取り組もうとする。だからこそ「周囲が少しふざけたりするのに嫌気を指すこともあったな」と当時を思い出した。ルカだけではなく、他の仲間も指導者をしているという。「みんな頑張っているんだな」とうれしくなった。

ルカはその後私に頻繁に連絡をくれ、「良かったらまた戻ってきてくれないか」と事あるごとに誘ってくれた。その気持ちが何よりうれしかった。そのうち、「いずれタイミングが合えば」と思うようになっていた。だから、育成部長から連絡があった時には何となく、「そのタイミングが来たのかな」という感触を持っていた。

※ルカ・モルドルについては下記を参照
教え子が若くして指導者になった理由とは?
若くして指導者になった教え子の広く深い考えとは?

育成部長のマリオ・ビットは非常にエネルギッシュで、フレンドリーで、それでいて良し悪しの線引きをビシっとつける人物だった。電話で話した三日後、クラブハウスで面談をすることになった。その席で私のことを「もう数年前からずっとリストアップしていた」と教えてくれた。「若い指導者が多いだけに、経験があり、刺激を与えられる指導者を迎え入れたいのだ」と。評価されているをありがたく思い、「一度ゆっくり考えますね」とその場で返事をし、マリオも「どの年代が一番いいかを考えてからオファーを出そうと思う」と返してその日は別れた。

その数日後、次はホッホドルフの育成部長から連絡があった。

こちらは「U19の監督、そして育成部長代理として育成コンセプト作りや指導者育成に携わってくれないか」という話だった。「キチのような指導者を探していたんだ」と言ってくれたその気持ちが、まずすごくうれしかったし、彼の思いもよく伝わってきた。そして、私は悩ましくもその2つの選択肢で迷うこととなった。どちらもやりたい。

▼でも、時間的に「どちらも」は無理だ。

いろんなことを考えていろんな人に相談した。最終的に、私は古巣フライブルガーFCに戻ることを決断した。「レベルの高いところでやりたい」という気持ち、そして、何より「U16監督のオファーをもらえたこと」が一番大きかった。

当時、古巣で2年目を私はU16監督として迎えた。だが、シーズンイン直前に育成部長から「U18監督をしてほしい」というオファーをもらった。「U16にはちゃんと代わりとなる監督を見つける。U18を強化して、トップチームに上がってくる選手をさらに増やしたいんだ」と。それを信じて、私はU18監督となったが、シーズンが始まるとU16は連敗を続けた。

「どうしたんだ? 選手の素質はすばらしいはずなのに。ちゃんとした監督を連れてくると言っていたはずなのに」。ある日、練習を見に行ってみると、ひどいトレーニングがされていた。怒鳴り散らす監督。何をしたらいいかわからない選手。すぐに育成部長に連絡をした。「このままだとU16は壊れてしまう。兼任でもいいからU16の練習もさせてほしい」と。しかし、彼は「決断するのはまだ早い。もう少し様子を見てみよう」と返事をした。だが、改善の兆しがないまま前半戦が終わり、U16は最下位で折り返すことになった。

さすがに「このままではまずい」と思ったのか、育成部長は「年明けからキチがU16、U18の両方をみるように」という決断をした。チーム内にあった様々な負の要素を取り除き、子どもたちがまたサッカーと向き合えるように取り組み、後半戦は開幕から3連勝という形でスタートすることができた。だが、その後は「U16の主力選手がU17に引き上げられる」ということになってしまった。彼らのことを思うと、上のレベルでプレーできるのはプラスになる。

しかし、せっかくチームがうまくいっているところで、クラブからブレーキをかけられてしまった。結局、U16の勢いはそれっきり止まってしまった。負け続けることはなくても、残留に必要な勝ち点を取るまでは私自身も持っていけず、降格することになってしまった。

「助けられそうだったのに、助けきれなかった」。

もっと何かできたかもしれない。最初からU18に行かなければよかったのかもしれない。頭の中でグルグルと考え続けた。いまも思いだしては考えてしまうことがある。あの時からフライブルガーFCのU16は昇格できないでいる。だからこそ、自分が戻ってそこで選手と一緒に昇格を目指すことが、私にとっても、今シーズン共に戦う選手にとっても、そして当時共に戦った選手にとっても大事なのではないかと思ったのだ。「いまこそ自分の力を最大限に発揮しなければならない時だ」と、私は決断した。闘う覚悟を決めた。

ホッホドルフのU19監督のポストは断った。でも、次男チームのコーチは続けることにした。「いつか引き受けてくれる時を待っているよ」と育成部長は変わらぬ信頼を言葉で表してくれた。その思いにも「いつか必ず返したい」と心に秘めるものはある。

異なる2つのクラブで、違うカテゴリーを指導する。

これもまた初めての挑戦! 向上心は燃え続けている。好奇心は輝き続けている。今シーズンから新たな気持ちで、また前に進んでいくだけだ。

※本企画について、選手名は個人情報保護のため、すべて仮名です
Photos:nakano kichinosuke

【過去の挑戦】
第一回「開幕に向け、ドイツの監督はプレシーズンにどんな指導を行うのか
第二回「狂った歯車を好転させるために指導者はどう手立てを打つのか
第三回「負け続きで思い通りにならずともそこから学べることは多々ある!
第四回「敗戦もゴールを狙い1点を奪った その成功が子どもに明日を与える
第五回「譲れない育成に対するアプローチ! 監督不在がもたらすことの意味付け
第六回「欧州では勝利を目指すのは当然! その上での育成がスタンダードだ
第七回「今シーズンの挑戦がスタート! 2クラブで異なる年代を指導する
第八回「急な監督就任に驚いたが、信頼関係を築くことから着実に進めた
第九回「プレシーズンで一泊二日の合宿を行い選手の内面を引き出した
第十回「チームがいい方向へ進むためにはダメなことをダメというのは大事
第十一回「全員出場とは何なのか? 試合を通じての成長とは
第十二回「迷いの中で他チームが教えてくれた、クラブ哲学を信じて進むこと
第十三回「スポーツ心理士とのワークショップをきっかけに変わったチームの雰囲気
第十四回「問題を起こした選手に気づかせ、更生する機会をどう作るか
第十五回「優勝してあらためて感じる育成に関わる指導者の意義

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