中野吉之伴「子どもと育つ」

もし求めるものが手に入らないのならお金を出してでも成長させてくれるクラブを探すことは有用だし、意味がある。【10・11月特集「サッカーを指導するには何を学ぶべきか」vol.9】

ドイツのボランティアコーチはどのように情報を集め、指導者としてレベルアップを図っているのだろうか。

何度も紹介しているように、ドイツのアマチュアクラブでは基本的に無報酬で指導をしている。地元の強豪クラブでも月に200-300ユーロもらえたらいい方だ。これは地方差があるので「ドイツ全体が」というわけではない。もう少し報酬がある地方もある。でも、それだけで食べていくのは無理なレベルの話だ。プロクラブでも、すべての人がそれを本職としてやれているわけではない。

他に、みんな仕事を持っている。

それが普通だ。「サッカーと生きる」ためには、「サッカーで生きていかなければならない」わけではない。「生きていくために稼ぐ」場所をサッカーに特化する必要はないことをみんな知っている。働くことは生きていくための大事な基盤だ。その基盤があるからこそ、サッカーにも時間を作ることができる。ドイツだけではなく、ヨーロッパならどこもこうした考えに触れることができるし、それはとても無理のない、理にかなったものだと思う。

朝から夕方まで仕事をする。家族との時間も作る。そして、空いた時間を見つけてグラウンドに立つ。子どもたちとの時間を心底味わう。「自分の時間を削ってまで」なんて意識はない。それこそが喜びだからだ。サッカーと共にいられるとき、自分はどこよりも自分らしくなれる。

日本だと無償でやっていると、コーチが「タダでやってやっているんだぞ」という気持ちが強くなり、高飛車で高圧的な態度を取り、権威を振りかざすようになり、自己満足に走ったり、勝利だけにこだわったり、でも力量がないから結果、体罰や差別的な指導になってしまう、というような指摘をよく目にする。こうした例は少なくないそうだ。私もよく聞く。心ある人は悲しむ。心ない人はそもそも気づかない。

不思議だなぁ、と思う。

だって「タダでやってやっているんだぞ」というわけではなくて、「タダでやらせてもらっているんだぞ」の方が本来強いのではないか。指導者をやることで得られる充実感は、むしろお金を払ってでも得たいくらいのものではないかと思うからだ。”指導者風な指導者屋”さんたちがそう思えないということは、そもそもサッカーというスポーツそのものを、サッカーの喜びを、楽しさを、奥深さを、そしてそれを伝えるかけがえなさを知らないから、ということではないだろうか。実際に、子どもたち相手にやっていることはその真逆のことばかりなのだから。健全さとは程遠い。

SVホッホドルフの話をしよう。

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