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中野吉之伴「子どもと育つ」

2001年4月2日にドイツへと飛んだ。その思いを胸にこれからも道を切り開いていこう。【4月特集「あらためてサッカーと生きるを考える」vol.01】

4月2日は私にとって特別な日だ。

 18年前、2001年4月2日にドイツへと飛んだ。荷物はスーツケースとバックパックを一つずつ。大学を卒業したばかりで23歳だった私は、あの頃何を考えていたのだろう。「何でドイツに行ったんですか?」、「きっかけは何だったんですか?」。この質問とは、これまでに何度も向き合ってきた。何度も尋ねられたし、何度も答えてきた。だから、自分の中にはある程度の模範解答がある。大きく分けて3つ。

1.日本の小学校チームで監督としてのすばらしい体験

大学時代、近くの小学校チームで監督をしていた。その時にいろんな経験をして、強くはないけど、楽しそうにサッカーをする子どもたちが好きだった。全然勝てないチームだったけど、このチームで一生懸命みんなとサッカーと向き合う中で様々なかけがえのない体験をさせてもらった。サッカーが好きな子どもたちが思いきりサッカーをできる環境がもっと日本にも出来上がってこないと。そうした子どもたちにもちゃんとした指導ができる指導者が関われるようにならないと。そのためにできることを成し遂げたいと思った。ドイツはグラスルーツにおいて世界的に見てすごく整理されていて、充実している国。だから、そこに行って実際にクラブの中に入って、選手として指導者として、人と人、人と地域、人とサッカーの関りというのを肌身に感じたかった。

2.思い描いていた人生との向き合い方

沢木耕太郎の本の一冊に「深夜特急」がある。その一節でアジアの端からヨーロッパの端まで乗り合いバスで横断する旅に出た理由を、『やろうと思えば誰にでもできるけど、誰もやろうとはしない酔狂なことをやろうと思った』と綴られていた。私は、それを自分の人生を賭してできないかと思ったことがある。『誰にでもできるかもしれないけど、誰もやろうとはしないこと。それでいて非常に意義があること』。ボランティア活動が中心のグラスルーツサッカーのスペシャリストになるのは、そのチャレンジとも合致するなと思った。

3.日本の教育への疑問ドイツでグラスルーツのサッカー現場を体験したい)

ヨーロッパに行きたい憧れがあった。でも、その前に「日本を出たい」思いがあった。「願い」といえるかもしれない。中学1年生の終わり頃に「日本の教育制度は間違っているんじゃないか?」と思ったことがある。偏差値? それが人の成長を測る絶対値なのか、と。人にとって大切なことは、他にもたくさんあるんじゃないのか。学ぶとは、もっと違うことなんじゃないのか、と。そう思ったのは、たぶん勉強の毎日に疲れてしまっていたのもあると思う。きっかけは逃避行への思いがあったからなのかもしれない。でも、一度そうやって思ってしまったら、「本当にそうなんじゃないか」と考えるようになってしまった。そこから学校の勉強に対してすごく疑問を持つようになってしまった。だから、そうでない学び方、学べる場所に興味を持つようになった。

この3つが自分の中にある模範解答だ。

どれも本当のことだし、今でもそう思っている。でも、それが本当にあの頃の自分が思っていたすべての心情を表現しているかというと、そうではないのだとも思う。何度も考えて言葉にしているうちに、世間的に理解しやすい形にある程度は調整された答えとなっているのかもしれない。あのとき、成田を飛び立った自分は何を考えていたんだろう。何を求めていたんだろう。ドイツという国にどんな未来を見たんだろう。

「本音の本音で語る」と、私が渇望していた最大にして絶対だったのは、「誰かにまっとうに認めてほしい」ことだったと思うのだ。

小学校時代、私はいわゆる勉強のできる子だった。たぶん、いつもクラスで上位。現在では当たり前のように小学生が塾に通うが、当時はまだまだ一部の子たちくらい。他の友達が放課後楽しそうに遊ぶ約束をしているのを横目に、家に帰り、ランドセルを置き、塾へ通う。たぶん変とは思ってなかったと思う。

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