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森田達也・石関聡・八木健太朗 チャイナリーグのプロ3人衆大いに語る!! その2(2013/4/11)

チャイナリーグで活躍する5人の日本人プレーヤー。今回は、上海徐房の#13八木健太朗 (写真左端)、大連元朝の#4森田達也(同左から2人目)、そして、#10石関聖(同右から2人目)の3人が集い、大いに語り合った。

 

 

チャイナリーグで活躍する日本人プロ3人衆による座談会の第2回目は、前バサジィ大分の八木健太朗が中心となって語る。そう、Fリーガーからのチャイナリーガーになった最初のケースがこの八木だ。上海市のチーム、上海徐房に入団した八木は、小さいころから「プロのサッカー選手」になる夢をいだいてきたが、それを中国で実現した格好になる。海外でプレーしたいという意識が高まっているときにチャイナリーグの日本人先駆者である森田達也のブログをみて刺激を受けて挑戦を決意したという。23歳の元Fリーガーは何を思い、どんな意識で“助っ人外国人”としてプレーしているのか。早くも上海の中心選手として活躍する彼の思いに耳を傾けてほしい。

 

 

「座談会出席者」

森田達也(大連元朝所属)

石関聖(大連元朝所属)

八木健太朗(上海徐房所属)

 

まとめ◆デジタルピヴォ! 山下

 

 

Fリーグから初めてチャイナリーガー誕生!

 

Pivo! 八木、お待たせしました(笑)。同じ質問です、行ったのはいつで、行くことになるきっかけは?

八木 行ったのがおととしだから2011年9月の2週目くらいにテストを受けにいきました。

 

Pivo! やっぱり森田の口ききで?

森田 いや、それが最初は、こいつは特殊だったんですよ。まったく顔を合わせてなかったんです。

八木 そうなんです。バサジィ大分でプレーしているときに海外でやりたい意識が強まってきて、たまたまネットでいろいろ海外のことを調べてたら“森田達也、中国リーグでやってます!”というブログが出てきまして、で、“どんな感じなんですか?”とブログを通して連絡をしてて、そしたら“本気で中国でやりたいなら一度来てみたら?”というコメントをもらって、“じゃ、行きます!”ということになりました。

森田 それが2011年シーズン開幕直前でした。

石関 僕の3か月あとですね。

八木 連絡は7月ごろからしていて、いきなり(当時、森田が所属していた)上海へ行きました。

森田 会ったこともなければ顔もネットの写真でしか見たことがない関係でした(笑)。

八木 上海がテストを受けさせてくれるということになったので、行く前、8月いっぱいで大分を退団して行きました。

 

Pivo! 入れるかどうかわからないのに先に大分辞めちゃった。

八木 あ、多分、そういう形じゃないとチームが出してくれないと、チームと話しているときもそんな感じだったんで、そうしました。チームに所属しながらほかを受けてだめだったら戻ってくるという訳にはいかなかった。で、上海でテスト受けて。最初はテストを受けて2週間滞在予定で、最後のほうはもうリーグ開幕戦だったんですよ。だからテストを受けて開幕戦を見てから帰ろうと思ってたんです。そしたらテストを受けて3日目にはもう(入団の)OKをもらったんですね。

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