久保憲司のロック・エンサイクロペディア

MDMAをクラブでやると、みんなと愛し合っているような感覚を覚える。 そうしてセカンド・サマー・オブ・ラヴが始まり、パーティーをレイヴと呼ぶようになった [ロックの闘争(8)] (久保憲司)

 

 

前回から続く

昔『ロックの闘争』という電子書籍を出していたのですが、ネット上からなくなっているので、6回くらいに分けてここにもアップして行きたいと思います。昔読んだことあると思う人はすいません、でも、今読むとまた感覚も違うかもしれません、自分のロック史を語りながら、ロックがどのようにカウンター・カルチャーだったかということを書いた連載です。自分で言うのもなんでが、結構面白いと思います。


 

 

エクスタシーは愛のドラッグ

エクスタシーとは一体なんなのか、なぜそこまでイギリスの文化を変えたのか、60年代のLSDは、若者の意識を変え、若者は髪の毛を長くしたり、パンタロンのズボンをはいたりしました。エクスタシーは一体何を変えたのだろう。

60年代、いつまでもハイになって踊っていたい若者はロング・インプロビゼーションの曲を好んだ。ヴォーカルも極力入っていないのを好んだ。ぶっ飛んでいるときにシンガーのメッセージなんてウザイだけだ。みんな自分の内面と会話しているんだから。そして、みんなアホみたいに手のひらをひらひらさせて踊っていました。

そういうバカな動きが86年くらいから、また出てきたのだ。今のクラブに行って、ヴォーカルも入ってないエレクトロニック・ミュージックを1時間も聞いていると、マイルス・ディヴィスが前座でサンタナがトリだった頃のフィルモア・イーストと何が違うんだろうって、よく思う。ビ・バップで、延々と長いソロをやって、その長いソロがやっと終わったかと思うと、また次のやつがソロをやるというのも、少し前のクラブで12インチのレコードを使って、同じような曲をどれだけ長くかけられるかが勝負、と言っていたのと全く変らないよね。

若者文化の後ろにはいつもサイケデリック・ミュージックがあったのだ。

チャーリー・パーカー(注.1)のソロは、意識の流れの変化で何とかかんとかと言うのは的外れである。いつも音楽シーンの底辺を支えていったのはサイケデリック・ミュージックだ。ドラッグをやっている奴らを、現実に戻さないようにどれだけ長く楽しませることができるかということだったんだと思う。

セカンド・サマー・オブ・ラブ(注.2)、レイブ(注.3)という現象は86年頃に始まった。どういう風に始まったか定かではないが、初めてエクスタシーをやった時のことはよく憶えている。エクスタシーというすごいドラッグがあるという町の噂がすごかったので、僕はやりたくてやりたくて仕方がなかったのだ。で、4AD(注.4)のアーティスト、ウルトラ・ヴィヴィド・シーン(注.5)がエクスタシーを持っているというので、僕は買うことにした。

彼はNYのミュージシャンで、その頃のアメリカはまだMDMA(「エクスタシー」はMDMAの俗名)が違法じゃなく、医者の処方箋があれば何錠でも買えたみたいだ。それで彼はライブしがてらイギリスに来て、MDMAを売ろうとしてたんだと思う。こういうことって、よくあるんです。で、エクスタシーをやったのだが、別にそんなにすごいとは思わなかった。メロウなLSD、幻覚のないLSDくらいの感じだった。

しかし、ある日これをクラブでやったらすごいことになった。MDMAは、クラブでエクスタシーをやっている人たちとやらないと全く効果がない不思議なドラッグだったのだ。

エクスタシーをやるとどう言う風になるか、映画『ディス・イズ・ジ・エンド 俺たちハリウッドスターの最凶最期の日』のワン・シーンであるので、貼っておきます。世界の終わりが来て、やることなくなったハリウッド・スターたち(本人演じる)がエクスタシーやるというギャグです。こんな風にバカで楽しくなる感じです。一人でやっても全く楽しくないドラッグなのです。

 

 

しかも、やっている人数が多ければ多いほど、すばらしい一体感に包まれる。それで、レイヴというものが5千~1万~3万人と巨大化していったのである。そして、最終的にはベルリンのラヴ・パレード(注.6)に100万人も集まるようになったのだ。ドラッグをやっているからといって、必ずしもアンダーグラウンドなものになるというわけではない。これはヒッピーがLSDをやり、その経験をみんなと共有したいという動きがウッドストックにまで巨大化したのと同じだ。

LSDはちゃんとした人とやらないと、木の上に登って飛び降りたりしてしまう。ロバート・ワイアットが車椅子の生活を余儀なくされたのもこのせいでした。ロバート・ワイアットがなぜ木の上に登ったのか僕は知らないが、たぶん自分は空を飛べるという錯覚に陥ったのだろう。 LSDだけは、まるで自分が夢の世界にいて、それを現実だと錯覚してしまう効果のあるドラッグなのだ。 僕も何回もそういう幻覚に襲われたことがある。でもいつも、おっととっと踏みとどまることができたのだ。 ヘロインや、コケイン、マリファナではこんな錯覚に陥ることはない。 アンダーグラウドのジャズ・クラブで朝方までビ・バップを踊っていたいと思っていた黒人たちは、それを何十万人と共有したいとは思わなかった。暗闇で音に合わせ、自分たちが知っている仲間だけの秘密のグルーヴとして踊りたいと思っていたのは、彼らがヘロインをやっていたからである。マリファナにもそういう効果はなくて、ボブ・マーリーが「ワン・ラブ」と歌ったのはそういうことだったのかもしれない。

しかしMDMAはそんな幻覚を見せるドラッグではない。MDAMは他人を愛せるようになるドラッグだ。LSDにもそういう効果はあるが、LSDは幻覚によって神様を見たり自分という存在が何であるかを気づかされたり、自分がなぜ生きてきたのか、そして、これから生きるためにはどうしたらいいかなどを考えさせられるドラッグである。

 

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