トーク・トーク『ラフィング・ストック』 –マーク・ホリスが亡くなった。色々な人から影響されたという声を、彼はどういう気持ちでいたのだろうか
トーク・トークのマーク・ホリスが亡くなった。たくさんの方がその死を悲しんでいたが、僕にはお疲れ様という言葉しか思いつかない。
マーク・ホリスの歴史は、トーク・トークを第二のデュラン・デュランにしたいレコード会社との戦いだった。
マーク・ホリスの戦いがなければ、現在ポスト・ロックと呼ばれる音楽の草分け的なバンドと賞賛される彼らも、きっとただのシンセ・ポップ・バンドの一つとしてその生涯を閉じていたかもしれない。
終わらない、全ては虚構、ループ、フラットという今の現実味のない世界を初めて歌にしたようなティアーズ・フォー・フィアーズが「Mad World」「Change」「Everybody Wants To Rule The World」を作ったのに一発屋に思われしまうのはそういうことなのだ。何発もヒットあるのに。
クリエイション・レコードのアラン・マッギーはマーク・ホリスのことを「ミュージック・ビジネスに屈することなく、創造性を失わなかった男の物語」と言った。
レコード会社からは“商業的でない”と言われた『スピリッツ・オブ・エデン』は「こんな売れなさそうなレコードを作りやがって」と裁判沙汰になった。
そして、レコード会社を変えて作られた『ラフィング・ストック』は90年代ロックのマスター・ピース、ポスト・ロックの原型と呼ばれるアルバムとなった。
『ラフィング・ストック』のような幾層ものレイヤーで作られたような複雑なアルバムはすぐにジャズのようなと語られてしまうが、僕的にはピンク・フロイドからカンによって、ヨーロッパのものとなったイギリスのサイケは『ラフィング・ストック』によってまたイギリスのものになったと思っていた。
多分今このアルバムを始めて聴いた人はトム・ヨークのソロ・アルバムかと思ったのではないか。
彼の名言「無音が一番大事だ。二つの音を聞くより、一つの音の方が、一つの音より無音の方が好きだ」一音、一音に命をかけた、いや一音、一音じゃないな、音と音の間に命をかけた男たちの物語。即興というか、初めて演奏した時の輝きにこそ何かがあると信じた男たちの音楽。今だとその音楽はモグアイ、シガー・ロスなどのバンドに受け継がれた。
何が受け継がれたのか、トーク・トークを聴けばそれが分かる。あの甘美なニュー・ロマンティックスとは何だったのか。それは30年後ティラー・スイフトが「ニュー・ロマンティックス」で歌ってくれている通りだ。
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