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【僕が見てきたレジェンドたち】林卓人/溢れ出るハングリー・パワー②〜2002年最終節札幌ドーム

全く違う。全く、歯が立たない。

プロとは、これほど凄いのか。

2001年、18歳の林卓人は、全く自信を失っていた。

同じルーキーの闘莉王は開幕戦のメンバーに選ばれ、トニー・ポポヴィッチの怪我によって途中出場し、鹿島を相手にいきなりゴールも決めている。

「あいつ、本当に決めやがった」

同期の活躍は複雑だ。祝福したい気持ちもある。しかし、一方で悔しさが募る。相手に対してではなく、自分に対して。GKとフィールドプレーヤーは違うとはいっても、人間である。華やかな場所で同世代の選手が注目を浴びる。それが、いつもバカなことを言い合っている仲間だとしたら、やはり受け入れがたい。

プロに入る前は「やれるかも」という期待もあった。だが、現実を知った時、そんな想いは吹きとんでしまった。

「全てのスピードが違う。シュート、判断、ポジション移動、タイミング。あらゆるスピードが違っていた。だから、自分のプレーは全て、ズレてしまう。後手に回る。構えるタイミングも遅い。だから、止められない」

落ち込んだ。自分を責めた。

だが、そういう時にかけてもらえた何気ない言葉が、1つのきっかけになることがある。それはおそらく、林卓人という若者が、ずっとずっと探していたからだろう。きっかけを、そして助けてくれる一筋の光を。

「控えのゴールキーパーって、大切なんだぞ」

そんな声をかけてくれたのは、当時のセカンドゴールキーパーだった加藤竜二だった。

「俺はな、広島に来た時からずっと、シモ(下田崇)の控えが自分の立場だって思ってきた。あいつがいる限り、試合に出られないこともわかっていた。でもな、もしあいつが怪我をしたり、出場停止になった時、突然に出番はやってくるんだよ。だからこそ、ふだんからしっかりと準備しないといけない。そしてな、そういう姿を周りはしっかりと見てくれているものなんだ」

実際、加藤はいつもチームの雰囲気をつくっていた。雰囲気を盛り上げるために大声で叫んだり、甘いプレーには厳しく怒ったり。何よりもトレーニングで100%の力を注ぎ込む真摯さは、林もずっと見ていた。

そういう加藤の姿を見て、「自分が凹んでいる場合じゃない」と感じた。

今の自分が少々トレーニングしたところで、試合に出られる可能性は少ない。でも、やっていかないと絶対に試合には出られない。メンバーにも入れない。

泥にまみれる決心。

考えてみれば、彼はいつも、最初は苦境だった。ライバルが必ず側にいて、そのライバルを追い越すために闘志を燃やした。

広島のGKは日本代表の常連である下田崇。ライバルというには、おこがましいほどの差がある。しかし、それでも戦わないといけない。

居残り練習の常連となった。ピッチに残っているのが一人になっても、彼はGKコーチのキックを受け続けた。何度も何度も地面に転がり、頬にはりつくのは芝ではなく土になっても、トレーニングはやめなかった。練習シャツについた土は汗と混ざって泥になり、ベッタリと張り付いたまま。若者は、誰に言われるまでもなく、誰よりもトレーニングを重ねた。

翌年、セカンドステージ第7節から、林卓人はメンバーに入った。セカンドGKとして認められた。しかし、ファーストの下田とは大きな差があることも、わかっていた。

ただ、最初の頃とその時とでは、下田に向ける視線の意味が違った。

ルーキーの時は、ただ素直に凄いと思っただけ。だが2年目になると、抽象的ではなく具体的に「凄さ」がわかり始めた。

こういう動きができるから、こういうプレーができるんだな。

コーチから言われていたことが、下田のプレーを見て確認できるようにもなった。

「シモさんのプレーを見ることが、僕にとっての教科書」

言葉をほとんどかわしていなくても、林は下田からプレーで、無言の指導を受けていた。既にその時から、林卓人の師は下田崇だったのかもしれない。

2002年11月30日。林は下田と共に、札幌の地に立った。J1残留のためには絶対に勝利が必要な決戦。いやおうなしに、テンションはあがる。一方の札幌はすでに降格が決定。しかし、シーズンラストとなるホームゲームは、絶対に勝利したい。それは自分たちの未来にも、大きく関わることだと選手たちは考えていた。

強烈な打ち合い。小倉隆史のゴールで札幌が先制すれば、前半終了間際に森﨑浩司が同点弾。後半開始早々に茂木弘人の突破からPKを奪って逆転。さらに53分、茂木は素晴らしいループシュートを決めて3−1。

やはり、残留への意志がホームの意地を上回ったか。

そう考えた自分が、甘かった。

試合前の状況を確認しておく。広島の残留は絶対条件として90分での勝利。その上で柏が負けるか神戸が引き分け以下でないといけない。既に自力残留の芽はなかった。

もし神戸が負けて広島が勝利であれば、勝点で上回ることができる。神戸引き分けor柏敗戦だと、得失点差の勝負になるが、神戸と広島は試合前の時点で得失点差は並んでいた。つまり、神戸が引き分けたとすれば必然的に得失点差で上回れる。

だがハーフタイムの時点で、神戸は清水に2−0とリード。ここから勝点を落とすことはほとんど考えられない。

一方の柏はどうか。もし柏が敗戦したとしても、彼らが1点差であれば広島は2点差以上をつけないと得失点差で上回れない。ハーフタイム、柏はG大阪に1-0でリード。だが、まだ可能性はある。となれば、2点差をなんとかキープしたい。

実はこの試合の前半、上村健一が相手との接触で左足を負傷。骨にヒビが入った状態でプレーを続けていた。この試合のサブにDFはいない。得点をとりに行くということで、試合当日のギリギリで札幌まで来ていた闘莉王を外し、山形恭平をベンチに入れていた。当時の木村孝洋監督・小野剛ヘッドコーチのコンビが下した判断が間違いだったとは言わない。それは結果論。しかし、闘莉王がいない状況で、上村をベンチに下げるわけにもいかない。しかも彼はプレーできていた。浩司の同点弾は上村のドリブルからスタートしていたのだ。広島の象徴だったのだ。

だが56分、小倉の左サイドからの縦パスで相川が裏をとった時、普通なら何でもなくカバーできる上村なのに、足を滑らせてしまった。クロス。服部公太と競り合った曽田雄志が決めた。

3-2。

G大阪が逆転してくれても、このままでは残留できない。当然、前がかりになる。そこを札幌は当然、狙っていた。

74分、小倉のロングパスに、スピード溢れるアタッカー=相川進也が飛び出した。一気に裏をとる。

あぷない、あぶない。

下田崇と相川、1対1。

激突。相川の頭が、もろに下田の目に当たった。

同点。

トレーナーが走る。大丈夫か。ダメだ。眼窩底骨折。続行不可能。

そのまま担架。救急車も呼ばれた。

林卓人、登場。

「逃げたしたくなるような気持ちでした。でも、みんなの顔を見た時、そんな怖れはどこかに行った。みんな、戦う男になっていたから」

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