大久保嘉人に見る、ベテランの味わい方(J論)

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【サンフレッチェ広島取材の軌跡】2000年1月1日天皇杯決勝対名古屋戦/ピクシーが奏でた魔性の独奏

2−0。完敗。名古屋、いやドラガン・ストイコビッチの前に、広島は沈んだ。

もちろんサッカーはチームスポーツ。個人一人だけでなんとかなるスポーツではない。しかし、だ。

名古屋の10人はいずれもレベルが高く、それはそれで危険な選手たちばかり。日本人選手はほぼ代表クラスだ。しかし、彼らレベルの11人だったとしたら、広島に勝機は間違いなくあった。清水やV川崎戦のようになった可能性もあった。

しかし、ピクシーの異名をとるドラガン・ストイコビッチは違う。たとえて言えば、イニエスタとビジャ、両方のストロングポイントを合わせ持っているようなスーパースター。他の選手たちが地球人だとすれば、彼一人は銀河系の彼方からやってきた宇宙人の如く、レベルが違った。

オリンピック・マルセイユ時代はチャンピオンズリーグ優勝も経験(八百長疑惑によってチャンピオンチームとしての権利が剥奪された)、ユーゴスラビア代表では1990年、イビツァ・オシムのもとでワールドカップに出場し、直接FKを含む2得点でスペインを撃破するなど大活躍。ユーゴスラビア紛争による国際試合禁止処分等がなければ、欧州選手権やワールドカップでもっと高い評価を得られたはずの選手であり、オリンピック・マルセイユの八百長疑惑がなければ、日本にやってくることもおそらくはなかった。間違いなく、不運のファンタジスタ。ユーゴスラビア代表で共に活躍したサビチェビッチやボバンなど、欧州で名を残した名手たちが「ピクシー(天使・ストイコビッチの愛称)」に対して尊敬の念を表していたように、彼は本物中の本物だった。

1995年、17得点29アシストというとんでもない数字を叩きだしてMVPに輝いた後も、ストイコビッチはJリーグのスターであり、第一人者であり、そして何よりも日本をこよなく愛してくれた。

そのストイコビッチが見せた最高のプレーの集大成的な試合が、こともあろうにこの決勝戦となった。実際、彼が演出家となった二つのゴールは、とんでもないほどの高質。あれほどのゴールを叩きこまれたのであれば、致し方ない。諦めて、ストイコビッチに拍手を贈るしかない。

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