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【PRIDE OF HIROSHIMA】茶島雄介/諦めたらそこで試合終了

人は簡単に「我慢が大切」と言う。だが、例えば今回の新型コロナウイルスのように、「いつまで」「どこまで」が設定できない「我慢」は、なかなか難しい。普通は耐えきれない、

特にサッカーのように、試合に出られる選手が11人に限られるようなチームスポーツだと、評価は絶対的なものではなく相対的になる。しかも、数字のようなデジタルな基準ではなく評価者によるアナログな視点になる。だからこそなおさら、評価される側は落ち着かない。

だからこそ、城福浩監督は努めて、選手たちとの会話を重視している。たとえば柴﨑晃誠や林卓人、清水航平といったベテラン陣との会話は多い。その内容は伺いしれないが、チームの現状と評価を正直に話しているのだと推察できる。城福監督は嘘がつけないことは、日々の取材で接していれば誰でもわかるからだ。言葉の言い回しや選択などに気を使ってはいるが、それでもその言葉が本音なのか違うのかはすぐに察することができる。表情に出てしまうのだ。

そしてもう一つ。指揮官は評価の部分でできるだけ「パフォーマンス」だけで判断しようとしている。年齢とか過去の実績などを考慮するのではなく、トレーニング場で見せるプレーの内容を基準に、そして試合で見せるパフォーマンスの質を考慮に入れて評価を下す。それ以外の要素を極力廃して、彼は選手たちと接している。先日、福岡への期限付き移籍が決まった松本泰志が「普通に僕は実力で負けていた」と語っていたことからもわかるように、試合に出られない悔しさはあるが、「なぜあの選手が入るのか」というストレスはチームには乏しい。たとえば井林章も実績を積み重ねてきた選手ではあるが「今の3バックにとってかわるのは、非常に厳しい。結果を出しているから」とかつて語っていた。冷静に見ると、起用は理解できるのだ。

一方で「結果を出せば起用される」という想いもチームには充満している。例えばそれは昨年の森島司であり、ハイネルであり、荒木隼人だ。そして今季、その象徴としてあげられるのは、茶島雄介である。

千葉で本格的にワイドプレーヤーとしてコンバートされ、それなりの実績を積んできた茶島雄介は、手応えを胸に秘めながら広島に戻ってきた。城福監督の戦術に慣れる必要性は自覚していたが、そこに対しても自信を口にしていた。しかし満を持して戻ってきた茶島を待っていたのは厳しい現実だった。

キャンプでのアピールが不足していたとは思わない。指揮官も「チャジはサッカーをよくわかっている」と彼の知性に好印象を持っていた。だが、ワイドプレーヤーとしてさらに強い印象を残したのは藤井智也と浅野雄也、U-23世代のアタッカーたちだった。圧倒的なスピードで縦に抜ける迫力は誰もがミキッチを思い出す藤井、やはりスピードを持ち、左足の破壊力を持っている浅野。確かにこの2人はキャンプから自分の力を遺憾なく発揮し、一定の評価を固めた。だが、彼らが監督の中で高い評価を得れば得るほど、相対的に茶島の位置は低くなる。2月に行われた二つの公式戦で、茶島雄介はベンチから外れた。

「悔しい」

感情はシンプル。しかし、やるべきことを見失いはしなかった。

「メンバーに入れなかった時は、確かに難しいなと感じました。でも、悔しさはあったけれど、監督とはコミュニケーションがとれていた。理解もできていたし、続けてやっていくだけだと思っていたんです」

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