「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【この人を見よ!】vol.38 泣き虫小僧の6年後 ~MF20 山本理仁~(19.9.25)

ピキピキと殻を破る音が聞こえてくる。
今季、東京ヴェルディユースから飛び級でトップ昇格を果たした山本理仁。永井秀樹監督の就任以降はレギュラーに定着し、出場試合数は17試合を数えた。うちフル出場は7試合。高卒資格すら持たない17歳のルーキーとしては立派な数字だ。
高精度の左足と展開力を武器に、キャリアを順調に歩み始めた山本だが、ここ最近のゲームでは目立った仕事ができずに苦しんでいる。プレーのイメージが小さくまとまっている印象で、全然楽しそうではないのだ。ぽっと出の新人が羽を伸ばしてやれるほど、プロの世界は甘くない。
もっと苦しみ、もだえ、あがけ。いましか味わえない濃密な時間だ。苦しめば苦しむほど、より高く跳び上がることができる。

■先っぽの動きがめちゃくちゃ速い

「おまえさ、あのポジションにいて縦にボールを入れられなくてどうすんの?」

指導者から厳しく問い詰められ、少年はたまらず声を上げて泣きだした。当時、東京ヴェルディジュニア、小6の山本理仁である。

山本の目線の先にいたのは、コーチの古川将大(日テレ・メニーナ監督)。古川もまたランドで育ち、アカデミー時代の同期には森本貴幸(アビスパ福岡)や小林裕紀(大分トリニータ)がいる。関西の桃山学院大を卒業後、普及からスタートした叩き上げの指導者だ。

小5のとき、それまでフォワードだった山本に、中盤の底のポジションを与えたのは古川の判断だった。前線での山本はサイドから中央に切れ込んでシュートを決める、たとえるなら元オランダ代表のロビン・ファン・ペルシのようなプレースタイルだったそうだ。

ただ、スピードが不足しており、このままではそのうち行き詰まると思われた。そこで、古川は左足の生かし方を変えようと発想の転換を試みた。

「技術があり、相手との間合いの取り方が巧かったので、ボランチをやらせてみようと。あの頃の理仁は、とにかく身体が細かったですね。もやしっ子そのもの。メシが食えない。走れない。そして、よく泣く。同期で同じ左利きの(石浦)大雅もそうでした。あのふたりは似ていた」

そう語る古川と01年組との関係はジュニアの3年間、ジュニアユースでも中2、中3と続き、全部ひっくるめると「全員、いいヤツらだった」という印象ができ上がるそうである。

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