「スタンド・バイ・グリーン」海江田哲朗

【トピックス】短期集中連載『永井秀樹、あの日、あのとき』Scene11(20.6.4)

Scene11. March 28 , 2006

■クラブ史上初のJ2降格

東京都稲城市、よみうりランド――。

2002シーズンをもって東京ヴェルディ1969との契約を終えた永井秀樹は、流浪の季節に入る。

2003年は所属チームがなく、2004年、故郷の大分トリニータに加入するもリーグ戦2試合の出場にとどまった。

2005年は沖縄に飛び、当時地域リーグのFC琉球でプレーしている。「監督が(与那城)ジョージさんで、チームを昇格させるために永井を呼ぼうとなったんですよ」と語るのは盟友の藤吉信次だ。琉球では8試合4得点の成果を残し、JFL昇格に貢献した。

その間、東京Vは波荒き時代を過ごす。2003シーズンの途中からチームを率いるオズワルド・アルディレス監督の手腕によって、2004シーズンはナビスコカップベスト4に進出し、暮れの天皇杯を勝ち上がって8年ぶりのタイトルを獲得した。

いよいよ大きな実をつけるかと思われた2005シーズン、手始めにゼロックス スーパーカップを制して快調なスタートを切りながら、まさかの17位で初のJ2降格という憂き目を見ようとは。これにより、東京Vはその姿を大きく変えてゆく。

林健太郎、米山篤志、山田卓也、小林慶行、小林大悟ら、チームの骨子となってきた選手たちが抜けた。2006シーズンの新指揮官はクラブのレジェンドであるラモス瑠偉。「1年でのJ1復帰」を目標に掲げ、同時に「未知数の監督によるチームの再構築」という極めて高難度の状況に直面する。

ラモス監督たっての希望で、永井は再び呼び戻された。背番号は8。

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