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私が市民クラブに行ったら始めたいこと えとみほ(江藤美帆)インタビュー<2/2>

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■アメリカ留学、ライター業、そしてビジネスの世界へ

──ここで、えとみほさんのこれまでのキャリアを急ぎ足で振り返っていただきたいと思います。ご出身は富山県だそうですが、富山市?

江藤 いえ、高岡市っていう、県内で2番目の都市です。高校までそこにいて、東京に出てきたんですけど、(大学での勉強は)あんまり自分が勉強したいことではないことに気がついて、それで2年で(大学を)辞めてしまいました(笑)。

──その頃の将来の夢って、どんなものだったんですか?

江藤 あんまり考えなかったような(笑)。ただ、コンピュータがすごく好きで、子供の時にMSXのパソコンを買ってもらって、自分でプログラミングの真似っこみたいなことをしたり、高校生の時もパソコン通信したりしていましたね。それで、「本格的にプログラミングの勉強をしたいならアメリカに留学するのがいい」と書かれた本を読んで、それを親に話したら「地元の大学でいいじゃない!」って言われて。妥協して東京に出たんですけど、「やっぱり違う」って思って強引に大学辞めたら、最終的にアメリカ留学を許してもらったという感じでしたね。

──「意味がない」と思ったら、スパッと辞めて次に切り替える。その決断力に、スタートアップの片鱗を見る思いがします(笑)。アメリカはどちらだったんですか?

江藤 フロリダです。その前に語学学校にも通っていたんですけど、学部に入ったら日本人がまったくいなくて、日本人コミュニティもまったくない。孤独で寂しかったんですけど、ちょうどその時にインターネットが出てきたんですよね。

──それが90年代の前半ですか?

江藤 93年とか94年とか。そうだ、「ドーハの悲劇」を寮のTVで観ましたね。「来年、アメリカでワールドカップがあるんだから、こっちで日本代表が観られる!」なんて思ったら、あんなことになってしまって……。韓国人のルームメイトが、むっちゃ喜んでいたのをよく覚えています(苦笑)。今にして思えば、初めて真剣にサッカーというものを見たのは、あれが最初だったかもしれないですね。

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